ひたちで小さなメディアをつくる

居心地のいい場をつくるために”小さなメディア”がどんな役割を果たすことができるか、日々の試行錯誤を綴っています。

正解のない問題に答えを見出していくための考える型がKJ法

まちづくり等のワークショップでみんなで話し合って、アイディアをまとめるときに、グループに分かれ、真ん中に模造紙を置き、ポストイットに自分の意見やアイディアを書いて出し、ファシリテーション役の人がそれをまとめ、グループを代表して誰が発表するということがよく行われる。
ラベルに意見を書いて出し、模造紙の上でまとめていくという手法の元祖がKJ法である。
川喜田二郎氏がKJ法について書いた『発想法ー創造性開発のためにー』が出版されたのは、1967年のこと。
その後の50年間で、みんなで話し合うときに、自分の意見を付箋に書いて出し合いまとめていくという手法は、一般的なものとなった。
しかし、その使われ方に問題がある。
加藤哲夫さんは、「多様な意見やアイディアが消えていくワークショップ」という文章で以下のように書いている。

KJ法は、川喜田二郎氏がフィールドワークのデータをまとめ、見えないものを発見するための方法として開発し、当初は企業に広がり、今ではまちづくりなどのワークショップに使われるようになったものだ。しかし、実際の使われ方を見ると、簡易KJ法どころか偽KJ法、安易KJ法としか言えないようなやり方が横行している。そのために意味の違う情報が同じグループに分類され、ろくな見出しがつかないから、出来上がった図解には意味が生じない。それをコンサルタントNPOの方が、参加者の言葉ではなく、勝手な結論に誘導するおゆな報告書に仕上げてしまう。…本当は、個々の付箋紙に情報を文章化する時やグルーピングしたものに見出しをつけるときには単語や体言止めではなく必ず短い文章で書くこと、そして、グルーピングは決して分類ではなく、個々の付箋紙の文章の内容や意味が似ているものを集めていくというところにポイントがある。

KJ法は「分類ではなく」、「個々の付箋紙の文章の内容や意味が似ているものを集めて」その主張・思い一文につづるということを積み重ねていくことがKJ法の真価を発揮させるための、肝腎かなめのポイントなのだ。
9/3のKJ法ワークショップの依頼にあたって、キクアツからもまず言われたのも、「KJ法というのは、みんな何となく知っているし、実際にKJ法らしきことはやったことがある。でも、みんなよくわかっていない。本来のKJ法というのは、どんなものなのかを知りたい」といことだった。
 
KJ法を伝えるわたしのプログラムは、社会教育主事を養成するためのプログラムを2011年から宇都宮大学で実施する際に、学びの振り返りのプログラムとして練り上げてきた。(2011年からやってきた「図解を作りながら考えを深める会」のやり方が元となっているが)
社会教育主事を養成するための講習を受ける中で学んだことを付箋に書き出し、それをKJ法の花火という手法で図解化することで学びを深めるというプログラムだ。(その図解がそのまま提出用のレポートとなる)
養成コースは2つのテーマに分けられ、その前半の振り返りのプログラムを私が担当し、後半の振り返りのプログラムは宇都宮大学の方が担当された。
2018年の前半の振り返りのプログラムを終えた後、KJ法は分類やアテハメの手法とは異なるということをしっかりと参加者に伝える必要があると感じて、「正解のない問題に答えを見出していくのがKJ法」という資料を作成して、参加者に配布してもらった。
その文章をブログにも載せておいた。
munaken.hatenablog.jp

  • 分類やアテハメでは解決しない問題に使うのがKJ法
  • 心と体を先行させ、頭は後で使うことが大切
  • 図解を作りながら考えを深めることで次へのステップが自然と踏み出せる

 
正解のない問題に答えを見出していくための考える型がKJ法なんですよね。
これをまず伝えたいと思い、9/3の参加者に「正解のない問題に答えを見出していくのがKJ法」という資料と加藤哲夫さんの「多様な意見やアイディアが消えていくワークショップ」という資料を送って事前に読んでもらうことにした。
 
ここを実際に図解を作りながら体感してもらうことが、9/3のKJ法ワークショップで一番やりたいことだ。

人生を振り返り未来を描くための図解づくり

9/3に久しぶりにKJ法のワークショップの講師を務める。
前回やったのは、2019年の3月だから、4年ぶり。
依頼してくれたのは、2011年の西村佳哲さんのインタビューのワークショップに一緒に参加していたキクアツ。
彼女は、現在、宇都宮大学の大学院の石井研究室に所属している。
研究室の仲間と『情報生産者になる』(上野千鶴子)を読んでいて、KJ法ってなんとなくそれらしいことはやったことがあるけれど、分類とどう違うのかよくわからないよね、という話になって、じゃあ、ちゃんとしたKJ法をみんなでやってみようということになったという。
 
キクアツとオンラインで打ち合わせをして、参加者が大学院生なので、研究に役立つ内容にしようということで、KJ法を活かしてインタビューの準備と実施、まとめをやってみようということになった。
参加者同士が相互インタビューをして、その内容をラベル化してKJ法の花火図解にまとめ、発表するという流れで提案した。
しかし、インタビューに慣れていない参加者が多く、インタビューしてラベル化するところがちゃんとできるかが心配とキクアツは言う。
それよりも、私が石井さんにインタビューして、その内容を各自がラベル化して図解化し、発表するのがいいのでは?とキクアツから提案された。
石井さんの話をじっくり聴く機会があまりないので、この機会にちゃんと話を聴いてみたいというという意図もあるとのこと。
 
ということで、石井さんにインタビューしてもいいか、メッセージを送ったっところ、石井さんからは、以下の回答が来た。

KJ法の内容についてですが、以前に私にやっていただいたものが良いかと思いました。院生ということで、自ら深く探究する研究テーマ、自らとの向き合いから将来のこと、社会人も半数いますし、自分の未来を、人生の踊り場のような時間を浜通りで作って確認するということが良いかなと思います。いかがでしょう。

石井さんは、5年前の9月に日立を訪れ、「10年後の暮らしを描く」というテーマで図解を作るのをサポートしたことがある。
munaken.hatenablog.jp
その時、石井さんがやったような「自分の未来を人生の踊り場のような時間を作って確認する」という場にしたいとのこと。
確かにこのテーマの方が、KJ法の真価を発揮しやすい使い方で、参加者にとっても価値があると思い、キクアツにも確認して、このテーマで参加者が自分の人生を振り返り、未来を描く場にすることにした。

ワークショップの日まで1週間。
この期間に資料を準備すると共に、自分の人生を振り返り未来を描くための図解を私も作ろう!
そのプロセスをこのブログでも適宜紹介していきます。

久しぶりに花火図解を作った

小冊子『耳と聲』と同じテーマ、構成で日原先生に改めて語り下ろしていただき、書籍版『耳と聲』を制作しようとしている。
まず『耳と聲01 自然体で生きるためのメソッド』を元に「第1章 自然体で生きるためのメソッド」の原稿を作成するため、7月に第1回インタビューをした。
しかし、漠然と日原先生のお話を聴くだけでは、書籍版として出すレベルの原稿にはならないということがわかった。
小冊子版を踏まえた原稿を作成するためには、まず『耳と聲』01から06号の中から自然体で生きるためのメソッドというテーマに関連する文章を抜き出し、全体像をまとめておく必要があるのでは?と考え、8月の打合せの前に71の文章を抜粋し、その中から29の文章を多段ピックアップし、花火図解化した。

『耳と聲』全6号の中から抜粋した文章
作成した花火図解

ピックアップした29の文章を新たにラベルに書き写し、A3の紙の上に並べた時、このラベル群が本当に図解化できるのだろうか?
と思ったけれど、数時間格闘してラベル配置し、図解化すると、それなりの図解としてできあがった。
図解化する前の不安と、図解化できた後のスッキリ感。
何度やっても、この感覚は、不思議だ。

妹島さんに工場や鉱山跡の再生プロジェクトを

妹島和世さんの情報をネットで検索していたら、妹島さんとミナペルホネンの皆川明さんの対話の記事と映像を見つけ、今聴いています。

www.academyhills.com

www.academyhills.com

youtu.be

聴きごたえがあります。
昨日のひたち子ども大学での妹島さんの授業で紹介されたのは、ローザンヌ工科大学の建物と瀬戸内海の犬島のプロジェクトのお話でした。
犬島の再生プロジェクトは、ひたちの工場や鉱山跡の再生につながるのでは?と感じます。
 
妹島さんには、常陸多賀の工場やセメント工場の再生プロジェクトをやってもらったら、おもしろそう!
あるいは、本山のかつて1万人の暮らす町があった場所の再生・再利用プロジェクトとか。
まずは、大煙突とさくら100年プロジェクトで『大煙突とさくらのまち読本』と『大煙突とさくらのまちガイドブック』ができたら、寄贈したいと思います。
 
犬島を訪れ、今妹島さんのされていることを体感してみたいな。
benesse-artsite.jp

ネットから悪意ある言葉を排除するアルゴリズムを

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GENKANでよく会う大学生と話をしたら、レビューのメタメッセージを抽出する研究をしているという。
悪意を含む情報を排除する自然言語アルゴリズムを作って、ネットにビルトインしてほしい。

ネットやITはバーチャルなんかではありません。小さきものに光を照て、人と人との縁をケアし、私達の生活を豊かに実りあるものにするものだと、僕は信じています」(増田真樹)

ネットには、本来そういう力があるはずなのに、悪意ある言葉によって損なわれている部分が大きいと思うんですよね。
悪意を含む言葉は遮断したい!
 
メッセージとメタメッセージの問題は、わたし自身、考えを深めてみたいテーマ。
メタメッセージがメッセージが伝わるかどうかを決めている部分が大きいと思うんですよね。
自分の発するメッセージのメタメッセージに自覚的であることが大切だと思っています。
自意識過剰のメッセージは、それが障害となって伝わりにくい。
できるだけ自分を透明な存在にすることが、メッセージを発する際には大切なんじゃないかな?
 
そんなことを考えていたら、本棚の『呪いの時代』(内田樹)が目に入った。

新潮文庫版の解説を書いている森田真生の言葉が素晴らしいので、抜粋しておきます。

その言葉はいつも、「正しいこと」よりも「生きる力を高めること」を目指して発せられる。(p.333)

内田樹という書き手に、これだけたくさんの読者が夢中になるのは、言葉にはそれを裏付ける身体があり、論理にはそれを支える倫理があり、理屈にはそれに釣り合う実感があるべきはずだという読者の思いに、内田さんが確かに応えてくれるからだろう。
逆に、言葉が身体を見失い、論理が倫理を忘却し、理屈が実感を放り出してしまうとき、そこに「呪い」が巣食い始める。(p.333)

多くの人がいまの時代に漠然と感じている身体的な違和感を、内田さんは「呪い」というキーワードで、見事に分節してみせたのだ。
身体は精妙に、記号的に分節されている。だからこそ、身体語彙が豊富な人ほど、そうでない人間にくらべて、それを自在に制御できる可能性を持っている。(p.334)


森田真生さん、さすがです!
 
ところで、どうやってレビューの中から感情分類に当てはまる言葉を選び出すのだろう?
抽出する単語と感情を結びつけるデータベースの構築の部分がキモなんだろうな。
また話ができるのが楽しみです。
 
いろんな人と偶然出会い、思いがけない話ができることが、カフェのおもしろいところですね。

いわきで現在進行形の壮大なさくらの物語

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『空をゆく巨人』(川内有緒)を一気に読みました。

この厚さの本を一気に読むのは、久しぶり。
 
こんなすごい人が近くにいて、現在進行形で壮大な物語が進行しているんだ!
ここからいわき回廊美術館までは、車で1時間。
oniwa.garden
近々行って体感したいと思います。
 
志賀さんは、現代にこんな人がいたんだ!
とびっくりする、スケールの大きいひとです。
 
明治時代は、こんな方がたくさんいて、時代を切り開いていったんでしょうね。
久原房之助や角弥太郎、関右馬允も、そんなひとだったのでしょう。
 
角弥太郎さんや関右馬允さんのことがきちんとしたノンフィクションで描かれていないのは、ほんと残念!
大正時代に、煙害で荒れ果てた山に1000万本の植樹をしたのは、ほんとすごいことだと思う。
 
その物語を川内有緒さんのような、確かなノンフィクション作家に描いてもらえないかなぁ!
18日にお話を伺えるのが楽しみです!
 
トークイベント「“地域”の文化は何がつくる?―ケンポク、いわき…、となりの物語をきく―」
maisonkenpoku.com

今ここにある光を言語化し、冊子として残す

自分のブログで木村俊介さんのことを検索したら、こんな記事を3年前に書いていました。
munaken.hatenablog.jp
今読んでも、ほんとそうだな!と思います。
 
「一見行き詰っているように見える町の中にも光はあるはず。
その光を見出し、意識を向け、育てていくことで町は変わっていくんじゃないかな?
やるべきことは、今ここにある光を見い出すこと。
(よそから何かを持ってくることではない)」
 
こういうことを大煙突とさくら100年プロジェクトではやっていきたいと思います。
私がリーダーを務める「史料編纂チーム」がやるべきことは、今ここにある光を言語化し、冊子として残すことなのかも。
 
#居場所をつくる #大煙突とさくら100年プロジェクト