ひたちで小さなメディアをつくる

居心地のいい場をつくるために”小さなメディア”がどんな役割を果たすことができるか、日々の試行錯誤を綴っています。

裏庭でバラを眺めながらひとり酒


17:53。
裏庭居酒屋でひとり飲む。
ビールから日本酒へ。

音楽は、高田渡さん。
バラがだいぶ咲いてきました。
高田渡さんは、ほんと味のある歌い手でした。
札幌時代の盟友、植田さんにアルバムを借りて聴き、札幌時代に2回ライブを聴き、高円寺でもライブを聴きました。
高円寺タイフーンでのライブのすぐ後に亡くなってしまったんですよね。
息子の高田蓮さんも同じ曲を歌っているのだけれど、やっぱり高田渡さんの声を聴きたくなります。
声は人格である、とトマティス博士は言っているけれど、高田渡さんのあの存在が好きなんだろうな。
#裏庭居酒屋


富久心は、ほんとうまい酒だと思う。
近くのおそのえ酒店特注のこれを愛飲しています。
富久心は、生産量が少ないので、県外ではほとんど飲めません。
お土産にすると、かなり喜ばれます。
#ひたちいいとこ
 

締めは、ワインとチーズ。
高田渡さんを聴きながら。
高田渡さんを聴くと、やっぱり植田さんを思い出す。
札幌で暮らした1999年から日本酒へ2004年にかけて、どれだけの時間を円山裏参道のあれこれ屋で植田さんと一杯やりながらどれだけ語り合ったことか。
話しているうちに夜が明けてしまったこともあった。
あれを許してくれた店主、三橋さんも、今思えばすごい。
あれこれ屋では、餅つきをしたり、円山公園かまくらを作ってその中で飲み会をしたり、サンマの海苔巻き号といういかだを作って豊平川のいかだ下りに参加したり、とほんといろんなことをやった。
会議室ではなく、飲み食いしながら存分に語り合える場がある
というのがほんと大切なんだよね。
あれこれ屋があったからこそ、円山裏参道のまちづくり活動も成り立ったのだと思う。
まちづくり活動を中心になった進めていたのは、植田さんとわたしと裏参道工芸館の国岡さんという地味で変な3人組、ジミヘントリオだった。
みんなまだ30代、若かったから、あれだけの密度で物事を進められたのだろう。
濃密な2年間だった。
国岡さんはどうしているだろうか?
もうまちに飲みに行くのも、面倒くさい。
この裏庭居酒屋の延長線上で、近所の心通じる人たちと飲み語り合える場がつくれたらおもしろそう!
北町風流物作者グループを中心にそんな場ができる道を探りたいと思っています。
自分の暮らす500m四方をいかに居心地よくするかが基本なんじゃないかな?
#居場所をつくる #裏庭居酒屋