ひたちで小さなメディアをつくる

居心地のいい場をつくるために”小さなメディア”がどんな役割を果たすことができるか、日々の試行錯誤を綴っています。

KJ法と共に歩んできた40年間

明後日から大阪大学で開催される6ラウンドKJ法研修会で講師アシスタントをさせていただくにあたり、自己紹介のための資料を作成しました。
講師を務める山浦さんは、わたしのKJ法の師匠で、39年来のお付き合いがありますが、研修を受講される看護質的統合法研究会のみなさんにとって、わたしは突然現れた未知の存在だと思うためです。
山浦さんと一緒に情報まとめの仕事をさせていただいていたのは、1990年代で、2000年代に和歌山寄り合いワークショップ、2010年代に富岡町復興計画作成のお手伝いをさせていただいていました。
しかし、看護質的研究会に関してはお話は折々伺っていたものの、実際に参加したのは、今年3月に山梨で開催された看護質的研究会が初めてです。

<プロフィール>

福島県郡山市生まれ→大学時代を仙台で過ごす:山登り、文化人類学→大学院浪人で東京へ:創造の広場の仲間と出会い、KJ法、竹内レッスン、ミニコミづくり→田んぼをやるため信州富士見町へ。八ヶ岳南麓で11年間過ごす。メディアクラフト創業(1995年):KJ法による情報まとめ、マニュアル執筆→札幌(5年間):36歳で初めて会社勤め、テクニカルライター、まちづくり、合唱→東京(5年間):システム開発会社でテクニカルライターとして働く→2009年妻の就職に伴い、妻の故郷ひたちへ、メディアクラフトを再開。フリーの編集・制作者として、考えをまとめるお手伝い、地域メディアづくり、耳と聲プロジェクトを中心に活動してきた。今年は、走ることと自然菜園づくりを暮らしのベースに置きながら、書籍版『耳と聲』の制作とKJ法を伝える仕事に取り組もうとしている。
InstagramthreadsX(@munaken)、Facebook、ブログ「ひたちで小さなメディアをつくる」で情報発信。

<わたしとKJ法>

大学3年生の時、文化人類学の講義で『発想法』『続発想法』『野外科学の方法』を読んでレポートを書くという課題によりKJ法を知る。卒業論文がまとまらずに困っていた時にKJ法のことを思い出し、自己流のKJ法によりまとめることができた(1986年)。
大学院浪人のため上京し、KJ法の仲間と出会い、KJ法新宿塾、川喜田研究所でKJ法の研修を受ける(1988年に山浦さんの6ラウンドKJ法の研修を受講)。山浦さんが川喜田研究所から独立した後、KJ法による情報まとめの仕事を一緒にさせていただいた(1990年代)。その後、和歌山の寄り合いワークショップや富岡町の復興計画づくりの仕事のお手伝いもさせていただいた。
メディアクラフトを再開後、KJ法は、自分の仕事を進めるために主に使い、時々、人に伝える仕事もしている。2011年からは、KJ法の花火の手法を使って図解を作りながら考えを深める会を時々開催している。多段ピックアップしたラベルをA3図解にまとめることが多い。

<KJ法による情報まとめの仕事>

「会社後輩への助言」(アンケートの自由意見欄のKJ法によるまとめ)(1988年)、「日蓮宗の布教委員会のまとめ」(1989年)、「JT企業文化のまとめ」(1990年)、JT農村調査のまとめ、Macユーザーからの電話による問い合わせまとめ(1992年)、「WordPerfectユーザーアンケートのまとめ」「JT農村調査まとめ」「マイクロソフトアンケートのまとめ」「エーアイソフトWXIIユーザーからの問い合わせのまとめ」(1993年)、「JT喫煙世論のまとめ」(1995年)、松岡正剛氏の講演レジュメを構造化、 「宇宙開発事業団広報アンケートのまとめ」(1997年)など

<KJ法を伝える仕事>

社会教育主事養成プログラムでKJ法による学びの振り返りプログラムを担当(2014年〜2019年)
宇都宮大学コミュニティデザイン学科石井ゼミの大学院生・大学生を対象に「図解を作りながら研究テーマを考えよう」ワークショップを開催(2023年〜2025年)
その他、要請に応じてKJ法のワークショップや、図解を作りながら考えをまとめるお手伝いをしている。

『質的統合法』527ページを読了!


『質的統合法』(山浦晴男ほか、新曜社、2025年10月発行)527ページをようやく読了!
8/20から大阪で3泊4日で開催される6ラウンドKJ法研修会で山浦さんのアシスタントをさせていただくにあたり、どうしても読了しておきたかったのです。
KJ法を使い始めて40年。
1990年代の前半は、日々KJ法のラベルに向かう日々でした。
1000枚を越えるラベルを数ヶ月かけてまとめたこともあります。
5〜600枚のラベルをまとめることは日常でした。
何をやるにもまずKJ法の図解を作ることから始めるというKJ法漬けの日々。
花火日報も10年くらい、30冊くらいはやり続けたかな。
わたしの仕事人生は、KJ法に始まり、あの頃にKJ法を実践することで身につけた力がベースとなっています。
『質的統合法』を読むと、山浦さんが積み重ねてきた膨大で緻密な実践に圧倒されるけれど、わたしは私なりにKJ法を使いやすくするために独自に積み重ねてきたこともある。
元ラベルの作成、ラベル集め、表札、空間配置等の勘所は、40年の実践で身についていると思う。
その辺がお役に立てるところかな?
KJ法を実践する上でもっとも大切なことは、頭をクリアにしておくこと。
KJ法は頭と心と体全体を使って考える方法なので、身体を調えておくことが肝要。
今日は、参考となりそうな本や資料、図解等をしっかりとまとめ、旅の準備をすると共に、走り、休んで身体を調えよう、と思います。

日々を淡々と生きる幸せ


日々を淡々と生きる幸せ。
マティスメソッドが求めている世界というのは、そういう世界なんですよね。
何か大きなことをしようとするのではない。
毎日自分のやるべきことを繰り返している中で広がっていく。

早朝、ご飯を炊き、三年番茶をわかし、サラダチキンを仕込み、コーヒーの準備をする。
そんな淡々とした日常に幸せを感じる世界。

でも、わたしの場合はそれだけではダメなんですよね。
何か自分しかつくれないものをつくりつつあるという実感がほしい。
自分の人生に意味を持たせたい。

淡々とした日常を楽しみつつ、自分しかつくれないものをつくりつつあるという実感を持てる。
そんな世界がわたしの求める世界なんでしょうね。

#耳と聲 #居場所をつくる #本づくり

自分の中の静けさに出会えれば、大切なものが見えてくる


自分の中の静けさに出会えれば、大切なものが見えてくる。
自分の中の静けさに出会うためのメソッドがトマティスメソッドなんだよね。

3月でひたちでの社会的活動をすっぱりと止め、『耳と聲』書籍版の制作に集中することにした。
それなのに、4月はさっぱり手がつかず、1か月引きこもってしまった。

先日の耳と聲打合せを機に、原稿制作に本格的に取り組み始め、「第5章 共振から共感へ」までの初稿たたき台まで作成できた。
現在の文字数は、3万3千字ほど。
最終的には、4万字くらいになるかな?
とすると、100ページ弱の薄い本になるだろう。
耳と声に関する『センスオブワンダー』のような本をつくるというのが、ずっと掲げてきた目標だ。
そのイメージに近い本をつくるための元ができてきた。
6月末の打合せまでにできるかぎりブラッシュアップしていく。

これが本にする最後のチャンス。
この機を逃したら、『耳と聲』は小冊子でとどまってしまう。
ear-voice.info

2002年に札幌の合唱団で日原先生に出会って、その指導ぶりに感銘を受け、日原先生の経験とメソッドを本にするのが自分の使命と思い定めてから23年、耳と聲プロジェクトを開始してから16年、いよいよプロジェクトも最終段階です。

書籍版『耳と聲』の制作を日々進め、朝走り、畑をやり、身の回りを調えていければ、今年は十分なんですよね。
「無理なことはしない。やることは楽しくやる。それが自然体で生きるための原則」という日原先生の教えをいつも頭に置きながら、ゆっくりと丁寧に日々を送りたいと思います。

それにしても、この1か月は何だったんだろう?
半年周期で訪れる鬱の波。
これをどう乗り切るかが課題ですね。

とりあえず11月までは大丈夫でしょう。
11月のシーサイドマラソンを走って疲れて動けなくなるという流れは避けたい。
12月の笠間ハーフマラソンを走り、1月の勝田マラソンでサブ3.5を達成するというのが、今年度のもう一つの大きな目標です。

0時現在の気温は、20.9℃。
蚊はまだいない。
裏庭居酒屋が一年でもっとも快適な季節です。

一本歯の下駄の効用


わが家には一本歯の下駄が5つある。
最初に買ったのは、10数年前。
水戸京成の物産展で岩間のお祭りで天狗が履くための下駄を買ったのが、初めてだったと思う。
その後、もっと手軽に履けるものをとAmazonで買い、友人から譲ってもらったり、息子用に買ったりしていたら、5足になった。
 
一本歯の下駄で歩くと、自然と体幹が鍛えられ、姿勢が良くなり、バランス感覚が養われる。
古武術甲野善紀さんの本を読んで、自分でも試したくなり、買ったんですよね。
一本歯の下駄を履いて歩いてから脱いで歩くと、自分の身体が調う感覚が確かに味わえます。
 
もっと日常的に一本歯の下駄を歩いて買い物に行ったり、散歩したりすればいいのだけれど、なんとなく気恥ずかしくて、そこまで活用できていません。
 
昨日、小2の息子が一本歯の下駄を見つけ、おもしろがって、繰り返し歩く練習をしていました。

 
bit.ly

#身体を調える

裏庭でバラを眺めながらひとり酒


17:53。
裏庭居酒屋でひとり飲む。
ビールから日本酒へ。

音楽は、高田渡さん。
バラがだいぶ咲いてきました。
高田渡さんは、ほんと味のある歌い手でした。
札幌時代の盟友、植田さんにアルバムを借りて聴き、札幌時代に2回ライブを聴き、高円寺でもライブを聴きました。
高円寺タイフーンでのライブのすぐ後に亡くなってしまったんですよね。
息子の高田蓮さんも同じ曲を歌っているのだけれど、やっぱり高田渡さんの声を聴きたくなります。
声は人格である、とトマティス博士は言っているけれど、高田渡さんのあの存在が好きなんだろうな。
#裏庭居酒屋


富久心は、ほんとうまい酒だと思う。
近くのおそのえ酒店特注のこれを愛飲しています。
富久心は、生産量が少ないので、県外ではほとんど飲めません。
お土産にすると、かなり喜ばれます。
#ひたちいいとこ
 

締めは、ワインとチーズ。
高田渡さんを聴きながら。
高田渡さんを聴くと、やっぱり植田さんを思い出す。
札幌で暮らした1999年から日本酒へ2004年にかけて、どれだけの時間を円山裏参道のあれこれ屋で植田さんと一杯やりながらどれだけ語り合ったことか。
話しているうちに夜が明けてしまったこともあった。
あれを許してくれた店主、三橋さんも、今思えばすごい。
あれこれ屋では、餅つきをしたり、円山公園かまくらを作ってその中で飲み会をしたり、サンマの海苔巻き号といういかだを作って豊平川のいかだ下りに参加したり、とほんといろんなことをやった。
会議室ではなく、飲み食いしながら存分に語り合える場がある
というのがほんと大切なんだよね。
あれこれ屋があったからこそ、円山裏参道のまちづくり活動も成り立ったのだと思う。
まちづくり活動を中心になった進めていたのは、植田さんとわたしと裏参道工芸館の国岡さんという地味で変な3人組、ジミヘントリオだった。
みんなまだ30代、若かったから、あれだけの密度で物事を進められたのだろう。
濃密な2年間だった。
国岡さんはどうしているだろうか?
もうまちに飲みに行くのも、面倒くさい。
この裏庭居酒屋の延長線上で、近所の心通じる人たちと飲み語り合える場がつくれたらおもしろそう!
北町風流物作者グループを中心にそんな場ができる道を探りたいと思っています。
自分の暮らす500m四方をいかに居心地よくするかが基本なんじゃないかな?
#居場所をつくる #裏庭居酒屋

小さなメディアをひとつひとつ手作りし、必要なひとに届ける

過去の今日の写真を眺めていたら、14年前、札幌で円山裏参道のまちづくりに参加していた頃の写真が表示されました。

 
札幌には、1999年6月から2004年3月まで住んでいました。
大学卒業後の東京〜信州富士見町時代に創造の広場という集まりで一緒に活動していた友人の妹夫婦が札幌で暮らしていると聞き、裏参道で建築の仕事をしている植田さんに会いに行きました。
その時、「まちの何気ない空間が大切だよね」という話で盛り上がり、感覚を共有できる人がいるという喜びから、植田さんがやっていた円山裏参道のまちづくり活動に参加しました。
munaken.hatenablog.jp
 
一緒にまちの未来を描き、まちづくりホームページをつくったり、まちづくりハウスを運営したり、円山裏参道のウェブサイトとマップをつくったり、地域FMの番組をやったり、キャンドルナイトをやったり、まちづくりメーリングリストをやったりと、さまざまな活動をしました。
その活動は、裏参道の拡幅問題に変に巻き込まれてしまい、中途半端な形で終わってしまったのが残念でした。
 
そこで一番わたしが感じたのは、まちの応援団だけいてもしょうがない。まちで暮らし、商売をしている本気の人がいないと始まらない、ということでした。
なので、それ以来わたしは、まちづくりワークショップ的なものとは距離を取り、まちで本気になって店をやっていたり、活動している人を応援するというスタンスでまちづくりに関わっています。
 
わたしが活動を始めるのは、「この人となら一緒に本気になって楽しく活動でき、何か新しい発見があり、それを形にできそうだ」という直観が働くときです。
それが無理だと感じられたら、その活動からは身をひく。
何をやるか以上に誰とやるかが重要なのです。
 
やったらいいと思うことはいろいろ思い付きます。
時間は有限なので、その中で優先順位をつけて取捨選択しないといけない。

人生にはどうしても優先順位というものが必要になってくる。時間とエネルギーをどのように振り分けていくかという順番作りだ。ある年齢までに、そのようなシステムを自分の中にきっちりこしらえておかないと、人生は焦点を欠いた、めりはりのないものになってしまう。(村上春樹

その取捨選択でもっとも重要なファクターは、

  • 本気になって一緒に楽しくやれそうな人がいるか?
  • ものをつくる感覚を共有でき、つくったものをしっかりと受け取ってくれる人がいるか?

なのです。
 
先週、ショックな出来事があり、ずっとモヤモヤしていたことを少しは言語化できたかな?
 
わたしのやりたいこと、やれることは、考えをまとめるお手伝いと小さなメディアづくりです。
当面は、今回のさくら祭りでの風流物の絵はがきづくりとひたちさくら巡りの冊子づくり、『耳と聲』の「はじめに」と日原先生インタビューのkindle化に時間を振り分けていこうと思っています。
 
小さなメディアをひとつひとつ手作りして、それを必要な方に届けることを仕事とする」
というのが、メディアクラフトの本来のあり方なんですよね。
メディアクラフトを始めて20年。
ようやくそこがハッキリしてきました。
 
ちょっと遅すぎじゃない?
とは思うけれど、今ここから始めるしかありません。