ひたちで小さなメディアをつくる

居心地のいい場をつくるために”小さなメディア”がどんな役割を果たすことができるか、日々の試行錯誤を綴っています。

ネットから悪意ある言葉を排除するアルゴリズムを

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GENKANでよく会う大学生と話をしたら、レビューのメタメッセージを抽出する研究をしているという。
悪意を含む情報を排除する自然言語アルゴリズムを作って、ネットにビルトインしてほしい。

ネットやITはバーチャルなんかではありません。小さきものに光を照て、人と人との縁をケアし、私達の生活を豊かに実りあるものにするものだと、僕は信じています」(増田真樹)

ネットには、本来そういう力があるはずなのに、悪意ある言葉によって損なわれている部分が大きいと思うんですよね。
悪意を含む言葉は遮断したい!
 
メッセージとメタメッセージの問題は、わたし自身、考えを深めてみたいテーマ。
メタメッセージがメッセージが伝わるかどうかを決めている部分が大きいと思うんですよね。
自分の発するメッセージのメタメッセージに自覚的であることが大切だと思っています。
自意識過剰のメッセージは、それが障害となって伝わりにくい。
できるだけ自分を透明な存在にすることが、メッセージを発する際には大切なんじゃないかな?
 
そんなことを考えていたら、本棚の『呪いの時代』(内田樹)が目に入った。

新潮文庫版の解説を書いている森田真生の言葉が素晴らしいので、抜粋しておきます。

その言葉はいつも、「正しいこと」よりも「生きる力を高めること」を目指して発せられる。(p.333)

内田樹という書き手に、これだけたくさんの読者が夢中になるのは、言葉にはそれを裏付ける身体があり、論理にはそれを支える倫理があり、理屈にはそれに釣り合う実感があるべきはずだという読者の思いに、内田さんが確かに応えてくれるからだろう。
逆に、言葉が身体を見失い、論理が倫理を忘却し、理屈が実感を放り出してしまうとき、そこに「呪い」が巣食い始める。(p.333)

多くの人がいまの時代に漠然と感じている身体的な違和感を、内田さんは「呪い」というキーワードで、見事に分節してみせたのだ。
身体は精妙に、記号的に分節されている。だからこそ、身体語彙が豊富な人ほど、そうでない人間にくらべて、それを自在に制御できる可能性を持っている。(p.334)


森田真生さん、さすがです!
 
ところで、どうやってレビューの中から感情分類に当てはまる言葉を選び出すのだろう?
抽出する単語と感情を結びつけるデータベースの構築の部分がキモなんだろうな。
また話ができるのが楽しみです。
 
いろんな人と偶然出会い、思いがけない話ができることが、カフェのおもしろいところですね。