ひたちで小さなメディアをつくる

居心地のいい場をつくるために”小さなメディア”がどんな役割を果たすことができるか、日々の試行錯誤を綴っています。

出し切って、思いを残さない

テーマが決まったら、次は、そのテーマに関するアイディアや意見をラベル化し、紙の上に出していく。

出し切る

その際に大切なのは、「ありのままの自分を受け入れる」という姿勢だ。
そのことについては、昨日「ありのままの自分を受け入れる覚悟から」というブログ記事に書いた。
munaken.hatenablog.jp
ありのままの自分を受け入れ、「自分を否定せず、制限を設けない」ことが大切だ。

A3の紙の中央にテーマを書き、360度の角度から自分事の本音の意見やアイディアを出していく。

中央にテーマを書く
関係性をクリップで示しながら、ラベルをどんどん出し、配置していく。
出し切る

KJ法では、場面を切り替え、その場面に集中することが大切。
テーマを決める時にはテーマ決めに、ラベルを出す時にはラベル出しに集中し、後戻りしない。
もうこれ以上でないというところまで出し切り、思いを残さないことが大切だ。

図解の質は、ラベルの質に大きく左右される。
できるかぎり多くのラベルを出し、次の多段ピックアップの段階で、今の自分にぴったりのラベルに絞り込む。

ラベル化する

ラベル出しする際に決定的に重要なのは、ひとつのラベルにはひとつの内容だけを入れるということだ。
それを「ひとつのラベルにひとつの志」と言っている。
志というのは、そのラベルに込められた思いだ。
KJ法では、その思いを心と体で感じてラベル集めしていく。
そして、その思いは主語ではなく、述語に込められている。
なので、ラベルには単語だけ書くのではなく、必ず文章にする。
具体的で土の匂いのするラベルがいいラベルだ。

ありのままの自分を受け入れる覚悟から

ひとは、どんな時に変わるのだろうか?

変わろう!変わろう!と思っても、なかなかひとは変われない。

そのあたりの機微を的確に表現したエッセイを村上春樹さんが書いている。

『村上ラヂオ』の「スーツの話」というエッセイだ。

思うんだけど、人間の実体というのはいくら年齢をかさねても、それほどは変わらないものですね。何かがあって、「さあ、今日から変わろう!」と強く決意したとことで、その何かがなくなってしまえば、おおかたの人間はおおかたの場合、まるで形状記憶合金みたいに、あるいは亀があとずさりして巣穴に潜り込むみたいに、ずるずるともとのかたちに戻ってしまう。決心なんて所詮、人生のエネルギーの無駄づかいでしかない。クローゼットを開けて、ほとんど袖を通されていないスーツや、しわひとつないネクタイをまえにして、つくづくそう思う。しかしそれとは逆に「別に変わらなくてもいいや」と思っていると、不思議に人は変わっていくものだ。変な話だけどね。(p.12)

村上ラヂオ(新潮文庫)

 

ひとは、「別に変わらなくてもいいや」と思った時に変わる。

というのは、自分の否定をやめた時に変わるということなのでは?

自分に対する価値判断を手放し、ありのままの自分を認識した時にひとは変わり始めるのだろう。

 

日原先生は、トマティス博士のレッスンを受けに行き、「必要以上に頑張ることには愛がない。今の自分に無理のない行動の中に真実の愛が存在するのだ」(『耳と聲01』)と心から納得した時に根本的に何かが変わったと言う。

後日、私は個人レッスンを受けに行きました。午後からのレッスンだったので、朝からしなければいけない仕事をしてから博士のところに行ったのです。そうしたら、とても疲れていて、博士の言うとおりにハミングができませんでした。
「今日はどうしたんだ?」と博士がおっしゃって、「一所懸命生徒に声楽を教えてきました」と答えたら、博士は「なんて事してきたんだ!あなたからレッスンを受けた生徒は大変迷惑なことだ」と。
「私、とても一所懸命やったんですよ」と言っても、「とても迷惑だ」と。
「なぜならあなたは自分の身を削って人に何かを伝えようとしている。そんなことでは大切なことは伝わらないんだ。あなたは自分の身体を愛してないからそんなことができる。自分の身体を愛していたら、そんなことはできない。いっぱい自分を愛しなさい。そうしたら愛はあふれる。そのあふれた愛をもって人とコミュニケーションをとりなさい」と言われました。
「そうなんだ!自分を愛して、自分を大切にして、あふれる愛をもってすればよいのだ!」とその時思ったのです。

耳と聲01 of 小冊子『耳と聲』

https://amzn.asia/d/05jgPP5

 

その時先生は、無理する必要はないんだ。今の自分が無理なくできることをやればいいんだ。と、ありのままの自分を受け入れたのではないだろうか?

 

このエピソード自体は、以前から知っていたが、自分事として深く腹に落ちたのは、「自然体で生きるには?」という図解を作り、このエピソードが「ありのままの自分を受け入れる」というグループに配置された時だ。

ありのままの自分を受け入れればいいんだ!

ということが腹落ちした時が日原先生のリスタートの瞬間だった。

 

自然体で生きるというのは、ありのままの自分を大切にするということです。(『耳と聲06』日原)

耳と聲06 of 小冊子『耳と聲』

自分の否定をやめた時、ひとは変わり始める。

情けない自分もそのまま受け入れるしかない。

そう覚悟を決めた時にひとは変わり始める。

 

そう覚悟できた時に、自分が持っているものが見えてくる。

自分が本来持っているものを大切にすることが、あなたがこの世に存在する大切な意味なのです。(『耳と聲04』日原)

耳と聲04 of 小冊子『耳と聲』

 

今の自分をいい悪いという価値判断抜きにそのまま認識し、受け入れた時に今の自分の持っているもの、可能性が見えてくるということなのだろう。

その覚悟ができた時に、今与えられている環境をそのまま受け入れ、その中でのベストを選択することができる。

 

一方、「わかるとは変わるということである」という言葉も真理だ。

解るということはそれによって自分が変わるということでしょう。(『自分のなかに歴史を読む』阿部謹也、p.17)

自分のなかに歴史をよむ (ちくま文庫)

 

変わるためには、わかりさえすればいい。

「なるほどなぁ!」と深く納得した時にひとは変わり、次へのステップを自然と踏み出す。

図解にはその「深い納得」を生み出す力があるのではないか?

という仮説を検証するために始めたのが「図解を作りながら考えを深める会」だ。

考えを深める会 カテゴリーの記事一覧 - ひたちで小さなメディアをつくる

 

これまでいろんな場面で、その方が図解を作りながら自分と向き合い、作り上げて深く納得する姿を見てきた。

図解にはそれだけの力があり、その力を伝えることが自分の使命ではないか?

 

やっぱりトマティスメソッドを伝えるための資料を作ることと、図解を作りながら考えを深めるお手伝いをすることが、わたしの本業なんだと思う。

「人生にはどうしても優先順位というものが必要になってくる。時間とエネルギーをどのように振り分けていくかという順番作りだ。ある年齢までに、そのようなシステムを自分の中にきっちりこしらえておかないと、人生は焦点を欠いた、めりはりのないものになってしまう」(村上春樹

当面は、この2つに集中していきたい。

 

切実かつほどよい大きさのテーマを定める

KJ法で図解を作成する際には、テーマ設定が決定的に重要だ。
わたしは「切実かつほどよい大きさのテーマにしてください」と伝えている。
図解を作るのは、自分が今置かれている現実を一歩前に進めるためだ。
現実を変えるために明らかにすべきことを言語化する。
それがテーマ設定である。
 
テーマは、自分事の切実なものでなければならない。
「ほどよい」というのは、しっかりと取り組めば明らかにすることができるという予感の持てる大きさのテーマにするということ。
例えば、わたしはサブフォーランナーではあるけれど、サブスリーを目指すのは現実的ではない。
サブ3.5なら、しっかりと練習を積み重ねられれば、可能なように思う。
なので、わたしにとってほどよい目標は、サブ3.5ということになる。
 
テーマ設定は、問題解決のためのツボを見つけるようなものとも言える。
そのツボに鍼を刺せば、こんがらがった問題がスラリとほどけ解決に向かうようなツボ。
そんなツボの場所を言語化して、明確にできるといい。

 
今回図解を作成するにあたり、今の自分を「灯台のように未来を照らし、常に立ち戻れる原点になるような図解」と考え、テーマを「60代を充実させ、悔いなく一生を全うするために今やるべきことは?」とした。
 
わたしの場合、今後10年でやるべきことはわりとハッキリしている。
メディアクラフトの今の活動の柱である「考えをまとめるお手伝い」「地域メディアづくり」「耳と聲プロジェクト」を60代もやり続け、しっかりと形にしていくことができれば、仕事面では悔いは残らないだろう。
そして、暮らしの基盤としての「走ること」と「自然菜園」も変わらずやり続けていくだろう。
 
わたしの問題は、「やるべきことはハッキリしているけれど、思うように進まない」ということである。
ある程度調子のいい時期が続いても、パタっとポンコツ化し、動けなくなる。
なぜそうなるかというと、調子のいい時期にやるべきことが進まないから。
やるべきことが進まないと、自分に対する信頼感が失われ、「どうせ自分なんか」という気分になり、自分をどうにかしようという気にならず、自暴自棄になっていく。
仕事も、人間関係も、走ることも、畑もストップし、そこで積み重ねてきたものが崩れる。
わたしの人生は、その繰り返しだったように思う。
 
自分で自分をどうにかしようという気になれば、60年間生きてきて身につけてきたやり方で立て直すことはできる。
問題は、その気にもならないポンコツ化する時期をいかにつくらないかなのだ。
 
これまでは、何かのきっかけで動き出し、朝走り出せさえすれば、立て直すことができた。
しかし、朝走るというルーティンにすると、身体の調子は調えられるけれど、それで満足してしまい、具体的なやるべきことが進まずに日々が過ぎてしまう。
 
7月から8月にかけてポンコツ化していた。
やるべきことは最低限しかやれず、発信も止まり、走れもせず、畑もできなかった。
9/3のKJ法ワークショップの準備を始め、耳と聲打合せに向け、「自然体で生きるためには?」という図解を作れたことで、自分をなんとかしようという気になることができ、ようやく身体を調え、頭がスッキリと働くようになってきた。
 
今回は、あえて朝走ることをしなかった。
朝走ると、これまでの立て直しのやり方になってしまい、また繰り返しになってしまいそうに思ったから。
走ることはせずに立て直すことができたのは、大きい。
しかし、最高体重を更新し続け、そろそろ走らないとやばいとは感じている。
 
川喜田先生は、問題解決のためのひと仕事を「判断→決断→執行」というプロセスに分け、判断部分を「問題提起→現状把握→本質追求」の3つに分け、執行部分を「構想計画→具体策→手順化」の3つに分けた。
合わせて6つのプロセスを配置したW型問題解決モデルを提示した。

KJ法で図解を作る際には、自分がどのプロセスを今やろうとしているかを意識することが重要だ。
わたしが今回図解を作るに当たって、自分の問題を明らかにし(問題提起)、自分が問題が発生する場合にどんな行動をとっているかを把握し(現状把握)、何が問題の本質を意識して(本質追求)、その問題を解決するためにもっとも適切なテーマは何か?(構想計画と具体策)ということでテーマ設定をしている。

意識しているかしていないかに関わらず、ひとが問題を解決しようとするとき、このプロセスをたどっているのだと思う。
KJ法のW型問題解決モデルを頭に置くことで、無意識でやっていたことを意識化してやれるようになる。
場面を切り替え、今やるべきことに集中しやすくなるという効果があるのではないか?と感じています。

アイデンティティを外に置く

今回、「KJ法とは?」というKJ法を説明する一番基本的なシートを改訂するにあたって、左上にまず置いたのが「アイデンティティを外に置く」というラベルだ。

「対話する」ためには、この「アイデンティティを外に置く」という感覚がもっとも大切だと思うからだ。
 
しかし、この「アイデンティティを外に置く」という言葉は、一見しただけではわかりにくいだろう。
その詳細を書いておきたい。
 
アイデンティティを外に置く」という言葉は、トマティスメソッドでよく言われる言葉だ。
『耳と聲06』に以下の文章がある。

「人間というのは一人では生きられない。他がある。自分のアイディンティティを中に置いたら、自分が中心となって他を見るということになる。すべてに対して良い条件でコミュニケーションをとるには、アイデンティティを外に置くことが大切、それによって他をたやすく観察できるし、自分自身をも客観的に観察することができる」と博士はおっしゃっています。

耳と聲06 of 小冊子『耳と聲』

小冊子『耳と聲』最終号である06号を制作にするあたってトマティスメソッドの全体像を図解化したとき、その図解の一番下に「アイデンティティを外に置く」という言葉を置き、「基盤となり実行の要である」という言葉を添えた。

アイデンティティを外に置く」ことのできている人というのは、意外と少ないように感じている。
専門家は、自分がその分野に一番詳しいという意識で、意外と「アイデンティティを外に置く」ことのできていない人が多い。
アイデンティティを外に置く」ことのできていない専門家の言葉は、押し付けになりやすい。
なので素直に聴きにくい。
 
マティスメソッドとKJ法の共通点は、この「アイデンティティを外に置く」という感覚が大切にされ、その感覚を養うメソッドがビルトインされていることだ。
マティスメソッドでは、「1.5m先の一点を見つめながらハミングをすることで、アイデンティティを外に置くという感覚が生まれ、客観性が持てる」(『耳と聲06』)ようになる。
KJ法では、自分の意見やアイディアをラベルという形で外に置き、自分や他の人の書いたラベルと一緒に並べ、眺めることで「アイデンティティを外に置く」という感覚を養うことができる。
 
「自然体で生きるには?」という図解を作った際、この「アイデンティティを外に置く」をいう言葉は、「ベストを選択できる」というグループに配置された。

そのグループは、以下の3つのラベルで構成されている。

  • アイデンティティを外に置くことによって他をたやすく観察できるし、自分自身をも客観的に観察することができる」(トマティス博士)(『耳と聲06』日原)
  • 今与えられている環境の中で最大によいものを見つけていくというのがトマティスメソッドです。(『耳と聲06』日原)
  • 相手のすべてを受け入れるには、私が自分に対しての信頼感を持っていなければできません。(『耳と聲05』日原)

この3つのラベルをまとめて「アイデンティティを外に置いてすべてを受け入れ、今与えられている環境の中でベストなものを選択できるようになる」という表札をつけた。

「今与えられている環境の中で最大によいものを見つけていくというのがトマティスメソッドです」とあるが、「今与えられている環境の中で最大によいものを見つけていくというのがKJ法です」とも言える。
ここで、トマティスメソッドとKJ法がつながった!
とわたしは感じたのである。

アイデンティティを外に置く」ことができるためには、「ありのままの自分を受け入れる」ことが大切だ。
「相手のすべてを受け入れるには、私が自分に対しての信頼感を持っていなければできません」というラベルにつながる部分だ。
自分への信頼感がなければ、相手も自分の置かれた環境も受け入れることができない。

自分への信頼感は、「ありのままの自分を受け入れる」という覚悟から生じる。
『耳と聲01』に日原先生がトマティス博士からトマティスメソッドを受け取るに至った決定的なエピソードが書かれている。

後日、私は個人レッスンを受けに行きました。午後からのレッスンだったので、朝からしなければいけない仕事をしてから博士のところに行ったのです。そうしたら、とても疲れていて、博士の言うとおりにハミングができませんでした。
「今日はどうしたんだ?」と博士がおっしゃって、「一所懸命生徒に声楽を教えてきました」と答えたら、博士は「なんて事してきたんだ!あなたからレッスンを受けた生徒は大変迷惑なことだ」と。
「私、とても一所懸命やったんですよ」と言っても、「とても迷惑だ」と。
「なぜならあなたは自分の身を削って人に何かを伝えようとしている。そんなことでは大切なことは伝わらないんだ。あなたは自分の身体を愛してないからそんなことができる。自分の身体を愛していたら、そんなことはできない。いっぱい自分を愛しなさい。そうしたら愛はあふれる。そのあふれた愛をもって人とコミュニケーションをとりなさい」と言われました。
「そうなんだ!自分を愛して、自分を大切にして、あふれる愛をもってすればよいのだ!」とその時思ったのです。

耳と聲01 of 小冊子『耳と聲』

日原先生は、「必要以上に頑張ることには愛がない。今の自分に無理のない行動の中に真実の愛が存在するのだ」ということに気づき、とても気が楽になりましたという形で、「ありのままの自分を受け入れる」ことができた。

ありのままの自分を受け入れると、「自分が本来持っているものを大切にすることが、あなたがこの世に存在する大切な意味なのです」(『耳と聲04』)ということがわかる。
「世界に一人しかいない存在なのだからドキドキする必要もないし、どうありたいと思う必要もない。あるがままがすべてです」(『耳と聲05』)という感覚になっていく。

自分との対話であれ、他の人との対話であれ、「アイディンティティを外に置く」ということを意識し、実感としてわかるようになっていくということがとても大切なのだと思う。

9/3のKJ法ワークショップでは、このあたりの感覚がうまく伝わるといいな!

未来を照らし導いてくれる図解

マティスメソッドを後世に伝えるための耳と聲プロジェクトは、2009年に始動した。
最初、ウェブサイトを作った。
次に本を作ろうということで、2010年3月にメンバーで話しながら作ったのが、この「声の本を描く」という図解だ。

先日の耳と聲プロジェクトの打合せに向かう電車の中で、この図解を見返した。
「自分を見つめ導いてくれる」という「ことば」がパッと目に入った。
わたしがつくりたいのは、「自分を見つめ導いてくれる」ような本なんですよね。
 
図解には、「灯台のように未来を照らし、常に立ち戻れる原点になる」という力がある。
このようにプロジェクトのキックオフ時にみんなで図解を作ることで、折々、図解を見ながら自分たちの原点を確認し、次のステップを描いて着実に前進していけるようになる。
また、図解があると、自分たちが何をやりたいのかを他の人にも説明しやすくなる。
 
9/3のワークショップで参加者につくってほしいのは、「灯台のように未来を照らし、常に立ち戻れる原点になる」ような図解だ。
図解を作るのは、「現実を一歩前に進める」ためなんですよね。
munaken.hatenablog.jp

わたしも、60歳を迎え、人生の終わりを見据えながら生きなければ、という思いが強くなってきている。
仕事をバリバリできるのは、今後10年だろう。
その10年でやるべきことをしっかりとやり遂げることで、悔いなく一生を全うしたい。
 
今後10年を照らし、常に立ち戻れる原点となるような図解をわたしもこの機に作ろう!
ということで、「60代を充実させ、悔いなく一生を全うするために今やるべきことは?」というテーマで図解を作ろう!と、ラベル出しを始めた。
 
この図解作成のプロセスを記録し、9/3のワークショップでの図解作成のサンプルとするつもり。
サンプルがあることで、伝わりやすくなると思うので。
 
自分ができないことを人に伝えることはできない。
人に伝える際には、自分も現役選手としてやっていることを例として伝えたいと思っています。

KJ法は頭と心と体で考えるメソッド

9/3のKJ法ワークショップに向け、資料を作成している。
これまでのワークショップでは、みんなで話し合いながら図解を作ることが多かったので、KJ法の説明もみんなでやるということを前提としたものになっていた。
9/3のワークショップでは、一人で図解を作りながら考えを深めるので、一人でやる時にでも違和感のないよう、KJ法の説明用シートを修正した。
 

簡単に説明すると以下のようになる。

  • KJ法は、自分と対話し、頭と心と体で考え、問題を解決するための手法である。
  • 具体的な手順としては、テーマを定め、そのテーマに関するアイディアや意見を出し切り、ラベル化し、まとめる。その結果、深く納得がいき、自然と次へのステップが踏み出せる。


以下、各プロセスの詳細を説明していく。

自分と対話する

KJ法では、自分のアイディアや意見をラベルに書いて外に出す。それによって、自分と自分のアイディアや意見を分離することができる。紙の上に出して眺めることで、自分と対話し、アイディアや意見をどんどん出していける。

頭と心と体で考える

KJ法では、頭をいったん外し、心と体でそのテーマに向き合うことが大切。
より納得のいく道は、まず心と体が感じ、それを言語化するのが頭という順番で心と体と頭の全体を全体を使って考えることで見出される。
頭で考えると、トップダウン的に分類やアテハメをしてしまうことになる。
多くの場合、自分の思考の枠を超えたところに解決策はある。
自分の思考の枠を超えるには、心と体を先行させ、頭は後追いするという流れた大切だ。

問題を解決する

KJ法は、問題解決の手法でもある。
問題解決のためのひと仕事は、判断→決断→執行という順番でなされる。
そのプロセスを問題提起→現状把握→本質追求→構想計画→具体策→手順化に分け、自分が今どのプロセスをやっているかを意識することが大切だ。

テーマを定める

問題解決のプロセスは、問題提起から始まる。
切実かつほどよい大きさのテーマを定めることで、自分の中からそのテーマに関連するアイディアや意見がどんどん出てくる。

出し切る

内部探検をする際には、建前の意見やアイディアではなく、自分を開いて本音の意見やアイディアを出すことが肝心だ。
自分を否定せず、どんどんとアイディアや意見を出し、これ以上出ないというところまで出し切る。
KJ法では、プロセスをきちんと分け、その時のプロセスに集中する。
アイディア出しの段階では、どうまとまるかは考えずに、とにかく出し切って、思いを残さないことが大切だ。

ラベル化する

出したアイディアは、ひとつのラベルにひとつの志という原則に従い、ラベル化する。
ラベルは、単語では書かず、必ず短い文章で書く。
述語の部分に志が入っていることが多いからだ。

まとめる

KJ法では、似ているものを集めるという感覚がもっとも大切だ。
頭で「こうだから似ている」と考えるのではなく、「なんとなく似ている」という心と体の感覚を大切にする。
頭は、集まったラベルの主張や思いを一文にまとめる表札を付ける際に使う。
花火という手法では、似ているものを集めるだけではなく、ラベル同士の関係性も感じながら、空間配置する。
この空間配置の際も、なんとなく落ち着く位置を心と体で感じてラベルを配置していく。
この空間配置が、花火という手法の肝であり、一番感覚をつかむのが難しいところ。
9/3のワークショップでは、この部分の感覚をしっかりと伝えたい。

深く納得する

花火図解づくりがうまくいったかどうかは、「なるほどなぁ!」という深い納得が得られるかどうかで判断できる。
KJ法をやるのは、自分の置かれている現実をいい方に動かしていけるようにするためだ。
そのために力になる「ことば」を自分の中から引き出すための「考える型」がKJ法なのだ。
KJ法では、頭だけではなく、心と体も使って考えているので、その結論が心と体レベルにも落ちている。
そのため、図解ができると、次へのステップが自然と踏み出せる。
深い納得が得られれば、自然と行動は変わる。
肚に落ちたとき自然と内側も外側も解決するんですよね。
munaken.hatenablog.jp

KJ法を「頭と心と体で考えるメソッド」と説明することで、分類やアテハメとどう違うかを説明しやすくなったように思う。

トマティスメソッドとKJ法がつながった

小冊子『耳と聲』の書籍版の「第1章 自然体で生きるためのメソッド」を作成する準備として、『耳と聲』全6号の名から「自然体で生きるためのメソッド」というテーマに関連する文章を抜き出し、その中からピックアップして、図解化した。

その図解は、ワークスペースの壁に貼ってある。
 
マティスメソッドに出会ってから21年、トマティスメソッドを後世に伝えるための本を作るプロジェクトを開始してから14年が経つ。
その間、このメソッドを伝える日原先生の経験を後世に伝えることが自分の最大の使命だと感じて、月1回の打合せを重ねながら、小冊子『耳と聲』全6号を制作するなどしてきた。
ear-voice.info

マティスメソッドとそれを伝える日原先生にそれだけの魅力があったからこそ、続けて来られたのだと思う。
 
この図解を作ることで、ようやく「トマティスメソッドとは自分にとってどんな意味があるメソッドなのか?」が言語化でき、トマティスメソッドを「自分を見つめ導いてくれる」メソッドとして使っていく手がかりを手に入れられたように感じている。
 
マティスメソッドをわたしがなぜ必要としているか?
それは「感じられない身体」「行き詰まった身体」「虚ろな身体」にしばしば陥ってしまうからなのだ。
その状態を抜け出し、「自分のリズムで生きられる」「自在に動く身体」を手に入れ、やるべきことを楽しくやり、淡々と生きる幸せを感じられるようになることを自分は求めているのだ。
「感じられない身体」から抜け出す最初の一歩は、「ありのままの自分を受け入れる」覚悟なのだ。
「がんばりすぎず、ありのままの自分を大切にしさえすればいい」ということに気づき、その覚悟を持つことで深く息をすることができるようになり、ありのままの自分を今与えられている環境の中でもっとも活かす道が見えてくる。
 
アイデンティティを外に置いてすべてを受け入れ、今与えられている環境の中でベストなものを選択する」ための方法が私にとってのKJ法なのだ。
 
9/3に久しぶりにKJ法のワークショップの講師を務める少し前のタイミングでこの図解を作ったことにシンクロニシティを感じる。
わたしがずっと大切に取り組んできたトマティスメソッドとKJ法がここでつながったのだ。
 
ありのままの自分と今与えられている環境をすべて受け入れ、その中でその中でベストなものを選択し、自分のリズムで楽しくやることで淡々と生きることに幸せを感じられる世界が開けていく。
その道を自分の人生の中で探究していくと共に、多くの方に伝えることが自分の60代の使命なのかもしれない。