ひたちで小さなメディアをつくる

居心地のいい場をつくるために”小さなメディア”がどんな役割を果たすことができるか、日々の試行錯誤を綴っています。

アイデンティティを外に置く

今回、「KJ法とは?」というKJ法を説明する一番基本的なシートを改訂するにあたって、左上にまず置いたのが「アイデンティティを外に置く」というラベルだ。

「対話する」ためには、この「アイデンティティを外に置く」という感覚がもっとも大切だと思うからだ。
 
しかし、この「アイデンティティを外に置く」という言葉は、一見しただけではわかりにくいだろう。
その詳細を書いておきたい。
 
アイデンティティを外に置く」という言葉は、トマティスメソッドでよく言われる言葉だ。
『耳と聲06』に以下の文章がある。

「人間というのは一人では生きられない。他がある。自分のアイディンティティを中に置いたら、自分が中心となって他を見るということになる。すべてに対して良い条件でコミュニケーションをとるには、アイデンティティを外に置くことが大切、それによって他をたやすく観察できるし、自分自身をも客観的に観察することができる」と博士はおっしゃっています。

耳と聲06 of 小冊子『耳と聲』

小冊子『耳と聲』最終号である06号を制作にするあたってトマティスメソッドの全体像を図解化したとき、その図解の一番下に「アイデンティティを外に置く」という言葉を置き、「基盤となり実行の要である」という言葉を添えた。

アイデンティティを外に置く」ことのできている人というのは、意外と少ないように感じている。
専門家は、自分がその分野に一番詳しいという意識で、意外と「アイデンティティを外に置く」ことのできていない人が多い。
アイデンティティを外に置く」ことのできていない専門家の言葉は、押し付けになりやすい。
なので素直に聴きにくい。
 
マティスメソッドとKJ法の共通点は、この「アイデンティティを外に置く」という感覚が大切にされ、その感覚を養うメソッドがビルトインされていることだ。
マティスメソッドでは、「1.5m先の一点を見つめながらハミングをすることで、アイデンティティを外に置くという感覚が生まれ、客観性が持てる」(『耳と聲06』)ようになる。
KJ法では、自分の意見やアイディアをラベルという形で外に置き、自分や他の人の書いたラベルと一緒に並べ、眺めることで「アイデンティティを外に置く」という感覚を養うことができる。
 
「自然体で生きるには?」という図解を作った際、この「アイデンティティを外に置く」をいう言葉は、「ベストを選択できる」というグループに配置された。

そのグループは、以下の3つのラベルで構成されている。

  • アイデンティティを外に置くことによって他をたやすく観察できるし、自分自身をも客観的に観察することができる」(トマティス博士)(『耳と聲06』日原)
  • 今与えられている環境の中で最大によいものを見つけていくというのがトマティスメソッドです。(『耳と聲06』日原)
  • 相手のすべてを受け入れるには、私が自分に対しての信頼感を持っていなければできません。(『耳と聲05』日原)

この3つのラベルをまとめて「アイデンティティを外に置いてすべてを受け入れ、今与えられている環境の中でベストなものを選択できるようになる」という表札をつけた。

「今与えられている環境の中で最大によいものを見つけていくというのがトマティスメソッドです」とあるが、「今与えられている環境の中で最大によいものを見つけていくというのがKJ法です」とも言える。
ここで、トマティスメソッドとKJ法がつながった!
とわたしは感じたのである。

アイデンティティを外に置く」ことができるためには、「ありのままの自分を受け入れる」ことが大切だ。
「相手のすべてを受け入れるには、私が自分に対しての信頼感を持っていなければできません」というラベルにつながる部分だ。
自分への信頼感がなければ、相手も自分の置かれた環境も受け入れることができない。

自分への信頼感は、「ありのままの自分を受け入れる」という覚悟から生じる。
『耳と聲01』に日原先生がトマティス博士からトマティスメソッドを受け取るに至った決定的なエピソードが書かれている。

後日、私は個人レッスンを受けに行きました。午後からのレッスンだったので、朝からしなければいけない仕事をしてから博士のところに行ったのです。そうしたら、とても疲れていて、博士の言うとおりにハミングができませんでした。
「今日はどうしたんだ?」と博士がおっしゃって、「一所懸命生徒に声楽を教えてきました」と答えたら、博士は「なんて事してきたんだ!あなたからレッスンを受けた生徒は大変迷惑なことだ」と。
「私、とても一所懸命やったんですよ」と言っても、「とても迷惑だ」と。
「なぜならあなたは自分の身を削って人に何かを伝えようとしている。そんなことでは大切なことは伝わらないんだ。あなたは自分の身体を愛してないからそんなことができる。自分の身体を愛していたら、そんなことはできない。いっぱい自分を愛しなさい。そうしたら愛はあふれる。そのあふれた愛をもって人とコミュニケーションをとりなさい」と言われました。
「そうなんだ!自分を愛して、自分を大切にして、あふれる愛をもってすればよいのだ!」とその時思ったのです。

耳と聲01 of 小冊子『耳と聲』

日原先生は、「必要以上に頑張ることには愛がない。今の自分に無理のない行動の中に真実の愛が存在するのだ」ということに気づき、とても気が楽になりましたという形で、「ありのままの自分を受け入れる」ことができた。

ありのままの自分を受け入れると、「自分が本来持っているものを大切にすることが、あなたがこの世に存在する大切な意味なのです」(『耳と聲04』)ということがわかる。
「世界に一人しかいない存在なのだからドキドキする必要もないし、どうありたいと思う必要もない。あるがままがすべてです」(『耳と聲05』)という感覚になっていく。

自分との対話であれ、他の人との対話であれ、「アイディンティティを外に置く」ということを意識し、実感としてわかるようになっていくということがとても大切なのだと思う。

9/3のKJ法ワークショップでは、このあたりの感覚がうまく伝わるといいな!