昨年の今日FBに自分のこれまでの歩みをまとめたような文章を書いていました。
走ること、野菜を育てること、KJ法、トマティスメソッド、本づくり、『ひたち帖』、耳と聲プロジェクト、考えを深める会、歳時記…、思えばどれも長いこと取り組んできたテーマです。
内側から時を満たすようにその時々のテーマに一所懸命取り組むことで、自然と実りがもたらされる。
そんな予感が今あります。
「長いスパンで種を蒔き、育て、収穫する」
そんなリズムが私には合っているようです。
このところいろいろな刺激を受け、いろんなことが動き出し、自分の中にモヤモヤとしたものがたまってきている。
そんな時、私は走りたくなる。
思えば、中学1年生の時から走りだして、もう40年以上が経つ。(私は中学、高校と陸上部に所属し、中長距離を走っていた)
私にとって走ることというのは、身体を鍛えるとかそういうことではなく、そうせざるを得ないものなのだ。
走ることで自分を落ち着かせる。
自分の中で消化しきれないものが、走ることでなんとなくあるべき場所に落ち着いていくような感覚がある。
今朝もまた夜が明け出す頃に走りに行こう。
自分は農家の息子で、自分の本性は農民だという自覚がある。
1988年に信州に移住してから畑を11年間やり、その後札幌〜東京にいた頃は中断していたが、2009年にひたちに来てからまた畑をやっているので、20年近く野菜づくりをしている。
「種をまいて育て、収穫する」というリズムというか、流れが好きなのだ。
そして、長距離走者である、というのも、私の本性の一つだと思う。
長いスパンで種を蒔き、育て、収穫するというのが好き。
この前、息子のこども園の遠足のバスで自己紹介ということで「好きなことを言ってください」と言われ、その場で考えて言ったのは「走ることと野菜をつくることが好きです」ということだった。
この二つは、私の本質に根ざした営みなのだと思う。
それに加え、大学4年生の時から実際に使い始め、一時はそれが仕事のメインだったKJ法も、やり始めてからもう30年になる。
走ることと野菜を育てること、KJ法で図解を作りながら考えること。
この3つが私を形作っている3本柱なのかもしれない。
さらに言えば、トマティスメソッドも出会ってから15年が経ち、8年前からはそれを形にして後世に残す仕事をしてきた。
今では、トマティス博士や日原先生の言葉が内在化し、何かを考える際のベースになっている。
2011年に出会ったインタビューも、講座を受けたり、実践したり、本を読んだりしながら追求し続けているテーマだ。
2013年に春夏秋冬号を作った『ひたち帖』もずっと頭にあり、今も作り続けようと思っているメディア。
昨年から本格的に取り組み始めたマップづくりも、ここにきていろんな展開を見せつつあり、今もっとも追求したいテーマ。
歳時記も、20年以上前から追求し続けているテーマ。
本づくりも、『KJ法研究』をDTPでやろうとMacシステムを購入したのが1991年で、著者として編集・制作者としていろんな本や冊子等を作り続けているので、取り組み続けて26年になる。(その前に、1997年頃ミニコミ誌の編集長もしていたので、その時点からは30年になる)
思えば、いくつものことを長いこと続け、追求し続けている。
それが独り立ちする作品となりつつある手応えを感じているのが、今の時点なのかもしれない。
https://www.facebook.com/earandvoice/posts/1375094579194666
Twitterで久しぶりに余計なお世話のアドバイスをしてしまい、思いがけない反応を受けた。
こんなことを昨日書いていたのにね。
お節介はしてもいいけれど、余計はお世話はしたくない。
— 宗形憲樹 (@munaken) June 27, 2018
お節介なのか、余計なお世話なのかは、その人がどんな状態でありたいかがわからないと判断しにくい。
自分はどんなとき幸せかを各自が認識し、知らせることが出発点なんじゃないかな?#居場所をつくる #考えを深める会 #ひたちワクワク未来会議
上記のツイートを呼び出すため、Twilogで「余計なお世話」で検索したら、以下のリツイートも出てきた。
お前のためにやってるんだ、と言う人は何もわかっていない。
— メンタリストDaiGo (@Mentalist_DaiGo) February 11, 2018
いちいち口を出したり、余計なお世話をするのは、
ただの偽善者の押しつけがましい自己満足にすぎない。
大切なことは、自分で気づかなければわからないからだ。
本当にあなたのためを思っているのは、黙って見守ってくれている人だけだ。
押しつけがましい自己満足だったんだろうな。
私も痛いけれど、相手も大切にしていものを土足で踏まれたような感じを受けたのだろうか?
そんな意図はなかったけれど、距離感を見誤り、相手の状況への配慮が足りなかったのだろう。
余計なお世話は止めて、今自分のやるべきことに集中しよう!
7/2のクルミドコーヒーでのお話し会「小冊子『耳と聲』ができるまで、そして一冊の本へ」への準備は今日明日が勝負なんだよね。