ひたちで小さなメディアをつくる

居心地のいい場をつくるために”小さなメディア”がどんな役割を果たすことができるか、日々の試行錯誤を綴っています。

自分との対話によって当たり前を意識化する

「60代を充実させ、悔いなく一生を全うするために、今やるべきことは?」図解が完成した。

「動ける身体」がやはりすべての基盤となる。
しかし、動ける身体だけでは、仕事で稼げるようになることはできないのだ、ということがハッキリした。
これまで、ポンコツ状態から回復する時には、動ける身体であり続けることに最大限注力した。
そして、実際、これまで培ってきた経験から、動ける身体に戻すことはでき、日々を結構楽しく過ごすことができた。
しかし、動けてはいても、仕事が進まず、仕事で稼げないでいると、だんだんと自分への信頼感が失われ、何かのきっかけでガクッと崩れ、ポンコツ状態になってしまう。
大切なのは、「動ける身体」を基盤に「サッと形にできる態勢」を調え、仕事が着実に進む日々の設計をして、日々の探究を形にして情報発信し、自分の力を必要としてくれる人と出会い、実際に仕事となり、稼げるようになることなのだ。

図解化してみると、当たり前のことが当たり前のようにわかったような気がする。
でも、この当たり前をきちんと意識し、具体的に動けなかったから、今の状態になっているのだ。
別に特別なことをするわけではない。
すでに必要なものは揃っている。
ここにある当たり前のことを具体的に無理せず楽しくやり続けさえすればいいのだ。

このテーマで考え始め、ラベルを出し切って思いを残さず、今の自分にぴったりのラベルに絞り込み、KJ法の花火という手法で図解化した。
かなりの時間をかけた。
しかし、花火という手法で図解化するプロセスを丁寧にたどることで、その時々精一杯自分と対話し、納得のいくまで考え続けることができた。

50枚のラベルを出し、自分の中を空っぽにして、紙の上に並べた。
今心に響くラベルに絞り込んでいき、26のラベルを選んだ
選んだラベルを転記し、空間配置をした。
そして、図解化した。 図解化してみると、当たり前のことじゃないか、なぜわたしはこれまでその当たり前のことをやってこなかったのか? と思う。 それが「深く納得する」ということなのかもしれない。 当たり前のことは当たり前のようにすでにそこにあった。 当たり前を見出し、当たり前のように実行することで、人は変わっていくのだろう。 当たり前を意識化するために自分と対話するためのメソッドがKJ法なのかも。