ひたちで小さなメディアをつくる

居心地のいい場をつくるために”小さなメディア”がどんな役割を果たすことができるか、日々の試行錯誤を綴っています。

文章を深めるプロセスで認識が深まる

何気なく発した言葉が人間存在のどれぐらい深い領域から出てきたかによって決まる。そして驚くべき合致によって、その言葉はそれを聞く者の同じ領域に届く。それで、聞き手に多少の洞察力があれば、その言葉がどれほどの重みをもっているかを見極めることができる」(『愛するということ』エーリッヒ・フロム、p.78)

声の力 - ひたちで小さなメディアをつくる
 
文章を読むと、この文章は「深い」とか、「浅い」とか感じる。
その文章の書き手が、どれだけの深さで書いているかが文章には表れているのだろう。
 
「浅い」と感じてしまう文章をどうすれば、「深い」文章にしていけるのだろう?
書き手が自分の中に深く降りていくしかないのか?
自分の経験、体感を言語化するトライを続けていくことで、深い文章にしていくことができるのだろうか?
 
編集者は、その伴奏者として書き手が深い領域に降りていくのをサポートする存在なのかな?
 
浅い文章を深い文章にブラッシュアップしていくプロセスの中で書き手の理解は深まっていくのだろう。
 
マティスメソッドのような、身体の使い方のメソッドのエッセンスをテキストで残し、そのメソッドをひとに伝えられる人を育てるには、師のチェックを受けながら、この言語化のプロセスを丁寧に積み重ねるしかないのでは?
 
マティスメソッドの発声トレーニング(CAV)の冊子を編集・制作しながら、そんなことを考えています。