ひたちで小さなメディアをつくる

居心地のいい場をつくるために”小さなメディア”がどんな役割を果たすことができるか、日々の試行錯誤を綴っています。

冬至を過ぎてもしばらく日の出は遅くなります。

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1/5まで日の出が遅くなる時期が続きます。
1/5は6:50に太陽が昇ります。(日の入りは17:36)
1/9にようやく6:49になり、立春(2/4)には6:37になります。
夏至(6/21)には4:18に日が昇るので、日の出が2時間31分も早くなります(明るくなるのは3:10で、日没は18:58。真っ暗になるのは20:07です)。
ちなみに、今年の冬至は12/22で、日の出が6:45、日の入りが16:25、真っ暗になるのは17:26です。

「感じる、思う、考える」という手順を踏むことの大切さ

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考えるということは、耳を澄ますことなのかもしれない。
自分の内側に耳を澄ますこと。
自分を取り巻く世界に耳を澄ますこと。
もやもやを抱えて歩くうちに、自分の中からふっと考えが浮かんでくる。
歩くことで身体と対話し、自分をニュートラルにする。
そのために私は日々歩いているのかもしれない。
 
糸井重里さんの「感じる、思う、考える」という言葉をこのところずっと抱えて歩いています。
この手順をきちんと踏んで納得がいったとき、人は具体的な一歩を踏み出すのではないだろうか?
 
「考える」レベルでいくら議論をしても、対立するだけ。
一緒に「感じる」「思う」ことをやることで共感が生まれ、そこから共に未来へと歩みだすための考えが生まれるのではないだろうか?

日々の積み重ねによってのみ得られる

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マティス博士に「日々の積み重ねによってのみ得られる」という言葉がある。
最近、何事かを成し遂げるにはこの「日々の積み重ね」をするしかないということを痛感している。
日原先生は「なんでもいいから何かを毎日続けることが大切なんです」とよくおっしゃる。
私が一番苦手なのは、この日々の積み重ね。
やる気になっている時には、集中してやるのだが、それがずっとは続かず、途切れてしまうことが多い。
途切れてしまっても、また再開することが多いのだが、それでは賽の河原の石積みのようで、積み重なってはいかない。
この「日々の積み重ね」を一年通すことに今年は挑戦したい。
具体的には、このブログを毎日更新すること。
はたしてそんなことを宣言してしまっていいのだろうか?と自信のない自分がすぐに顔を出す。
でも、一行でもいいから毎日このブログを更新することに今年は挑戦してみることが大切だという感じがしている。
今年の大晦日までそれが実行できた時、何か新しい風景が広がっているだろうと予感している。
 
今年年賀状を書くにあたって頭に浮かんだのは、「内側から時を満たすように日々を送る」という言葉だった。
これを年賀状に書こうと思ったのだが、妻から「今が満たされていないみたいじゃない」というクレームが入ったので止めた。
そういうことではなくて、時間の使い方について言っているのだが、そういう誤解をしてしまう人もいるのだなと思った。
 
時間を外側から捉えるのと、内側から捉えるのでは、生きる世界がまったく違うと感じている。
内側から満たされる時間は永遠に通じる。
 
この感覚は、はたして他の人にも通じるのかわからないが、自分にとっては大切なことなので、やっぱり今年の一番の目標は「内側から時を満たすように日々を送る」ということし、年頭にあたって書いておく。
今年の大晦日、それをやりきったと思えるような一年にしたいな。

風景は再発見される必要があるのかもしれない

7年前の朝は、水郡線で郡山の実家にお盆に帰る途中に磐城石川猫啼温泉に泊まり、朝お散歩していました。
温泉の前の川の写真を撮ってたら、犬を連れて散歩してる人に「雑草ばかりできれいじゃないでしょ」と言われ、「ダリア園みたいなところだけがきれいなわけじゃないんだけどな」と思い、以下の投稿をしました。
 
常陸太田の田園風景、奥久慈の川沿いの風景、日立の海など、普段そこで暮らしている人にとっては当たり前の風景が外から来た人にとってどれだけ魅力的か、地元の人は風景を再発見する必要があるのかもしれない」
 
思えば、それを伝えたいと思って作ったのが「ひたち帖」だったんですね。

やりきることで次のステージに行け、また新たな風景が見えてくる、というのはわかっているのだが、なかなかやりきるところまで行けないでいる。
時間の使い方の問題なのかな?
それとも、まだ機が熟していないのか?
『ひたち帖』2017春号と夏号をなんとか作り上げたい!

4年ぶりの模様替えを進めています。

小さい人を迎える準備のため、部屋の模様替えをしています。
問題は、小さい人をどこに寝かすかということ。
寝室で4人で寝られるようにするため、大晦日に寝室のベッドとタンスの位置を変えました。
それに伴い、ベッドわきに置いてあった息子の絵本を本棚に入れました。
(本棚に元々あった本があふれました)
 
昨日は、「宗形家の収納計画を立てる」というテーマで、妻と話しながらアウトラインプロセッサで方針とやること、買うものを整理しているうちに、実際に配置換えをしてみようということになり、8年前に引っ越して以来の大規模な模様替えに着手しました。
まずは、仕事部屋のスチール棚をクローゼットに移し、クローゼットを高層化して収納力を高める。
スチール棚を配置する場所をあけるためにいったん荷物を寝室に出すと共に、仕事部屋のスチール棚の上の本や資料を居間に出す。
妻がクローゼット担当で、私がスチール棚担当。
仕事部屋のスチール棚のわきにあったテーブルと茶箪笥を居間に移しました。
寝室も居間も荷物がいっぱい。
スチール棚は、何とか分解せずにクローゼットに移動できました。
 
次に、クローゼットに荷物を収納していく。
荷物の大半は、息子の衣類。
ある程度はサイズ分けしてありましたが、ごっちゃになっているものもあります。
そもそもこんなにはいらないので、取捨選択して、棚に入る量に絞る必要があります。
これは、2月までの課題。
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その次に寝室にあったスチール本棚を仕事部屋に移す。
本を取り出し、居間に並べると、居間は本であふれる。
いったいわが家には何冊の本があるのでしょう?
1000冊は優に超えていると思いますが、私もその実数は把握できていません。
この本をどう整理し、取捨選択して絞っていくかは、1月中の大きな課題。
 
居間にあふれた荷物をとりあえず片付け、食事ができる状態にしました。
夕ごはんは、久しぶりにテーブルで食べました。
 
意外だったのは、息子がこの模様替えを殊の外喜んだこと。
何度も「これで元に戻ったね」と言っていました。
たしかに以前は居間にテーブルがあったのですが、それは結構前のこと。
ここ数年は仕事部屋にテーブルを置いていたので、それが「元に戻った」という感覚はどこからくるのでしょう?
 
これからの作業は、部屋別に整理すると以下の通りです。
仕事部屋は、天井本棚を1台増やしてあふれている本をできるだけ収納し、入らない本と資料を断捨離する。
居間のタンスを移動して足にし、作業兼打合せ用のテーブルを作る。
居間は、イケアの子ども用の収容棚を2つ購入し、息子のおもちゃを収納する。
寝室は、本棚を入口そばに移動し、空いた場所に2人目の息子のタンスを購入して設置する。
 
以上で容れ物はできるので、あとは地道に荷物と本、資料を断捨離しながら収納していく。
この作業を2月中に完了させないといけません。
 
このアパートで4人で暮らし、仕事もするのは、そろそろ限界。
今年こそ、おばあちゃんちの改築計画に着手します!

今日の絵本は、五味太郎さんの『ぬぬぬぬぬ』

保育参観のとき先生が読んでくれた五味太郎さんの『ぬぬぬぬぬ』が面白かったので、早速図書館で借りてきました。
www.ehonnavi.net

今日はお昼寝しなかったためか、私の出番が来る前に寝落ちしました。
(わが家では、妻が3冊読んだ後、私が4冊読むのが定番です)
 
私がお風呂のふた洗いに熱中していたとき、息子から「お父さん、来て!」と声がかかって、私は「今、忙しいの」と断ってしまったのですが、妻の話ではこの『ぬぬぬぬぬ』を私に読んで聴かせたかったとのこと。
ちょっと惜しいことをしました。
ちなみに、息子が私に初めて読んでくれたのは、同じ五味太郎さんの『さる、るるる』でした。
 
このシリーズ、『ははははは』『どどどどど』『ビビビビビ』『ててててて』『るるるるる』『かかかかか』『ぽぽぽぽぽ』『んんんんん』といろいろあるんですね。
やっぱり五味太郎さんは、すごい!

星を眺める

息子が産まれ、一緒にプラネタリウムに行くことが多くなってから、初めて日常的に夜空を眺めるようになった。
今も、iPhoneのStar Walkを頼りに星空を眺め、星座を覚えている途中。
考えに詰まると、ベランダに出て、星を眺める。
いつもそこにある安心感。
 
星を眺める時の感覚と海を眺める時の感覚には、違うところと同じところがある。
星は季節ごとの移り変わりはあるが、絶対的に同じ。
海は絶えず変化する。
ただ、人間界を超えた大いなる存在に触れる感覚は同じだ。
 
星を眺め、海を眺めることで、自分の枠を超えられるような感じがするのかもしれない。