2011年の秋、出不精の妻が珍しく「行きたい!」と言うので、東京にある京都造形芸術大学の外苑キャンパスで開催していた「ふるさとという最前線」という講座を夫婦で受講しました。
http://www.studio-l.org/10thannivasary/32/
思えばあの時が、ぽっちり堂のヒビノケイコさんのデビュー戦だったんですね。
http://hibinokeiko.blog.jp/archives/cat_661264.html
かみね公園でも、山崎亮さんが有馬富士公園でやったように「キャスト」が「ゲスト」をもてなす公園づくりをやったら、もっと楽しい場所になるだろうな!
http://www.studio-l.org/project/01_arimafuji.html
大煙突マッププロジェクトへの想い
「自分の場所に誇りを持つ人間が好きだ」(隈研吾)
大煙突マッププロジェクトの1番の目的は、ひたちに誇りを持つ人間が一人でも増えるように、「感じ、思い、考える」機会を提供することかも。
自分の町が好きな人が多い町に自然と人は集まるのでは?
まずはたくさんの人がひたちの町が好きになり、ひたちの町で楽しめるようになるといいな。
楽しんでいる人のところに自然と人は寄ってくる。
大煙突マップは、そのためのツールとして使ってほしい。
そして、まちあるきルートとそれをまとめたパンフレットは、マップを使って「感じ、思い、考える」ためのまちあるきをする手助けとして作成する。
感じるというレベルでは、対立はない。
それぞれの人の感じ方の違いがあるだけ。
「人が「自分が自分である」というセルフエスティームの一番の中心的な概念のベースは「人と私は感じているものや感じ方が違う」「私にしか感じられないことがある」ということなのだ」(『市民の日本語』加藤哲夫、p.48)
それぞれの人の感じ方を受け入れ、尊重するということが、まず前提として大切。
ひたちの町を深く感じることで、自分がひたちの町で何を大切だと感じているかが思いとして現れる。
その思いを言語化して共有する。
その大切なものを守り、育てて、ひたちの町をワクワクする町とする未来をリアルに思い描く。
最後にどうすればその未来が実現できるかを考える。
その順番が大切なのでは?
人は「考え」のレベルで対立する。
何が正しく、何が間違っているかという考えのレベルの議論にあまり意味はない。
考えはそれぞれの人が何を感じ、何を思っているかの上にある氷山の一角のような存在。
その大元となる「感じる」「思う」は、共に町を歩くことでやりやすい。
町を歩いて町を身体で感じ、一緒に食事をしてリラックスする中で出る思いや考えを共有し、まとめていく。
そのプロセスを経ることで、自然な無理のない形で町の未来を感じ、思い、考えることができるのでは?
そう考えて、「大煙突マップでまちあるき」の企画を進めています。
私の役割は語り部
「「自分たちの戦いの物語を語り継いでくれる人」というのは組織のパフォーマンスの鍵です…個人のパフォーマンスは爆発的に向上する」(内田樹) :わかってくれる人がいるということが、大きな力になるのだと思う。 http://t.co/3KgWF0Wd6R #復興計画
— 宗形憲樹 (@munaken) 2015年2月4日
"ひとの居場所をつくろう"と未来へと続く時間と場所を現前させようと日々模索し、実践している人の語り部になることが、自分の役割かも。 #ひたち帖 #復興計画 #メディアクラフト
— 宗形憲樹 (@munaken) 2015年2月4日
上記2つは、3年前の2/5の投稿。
『耳と聲』は、日原先生の経験を語り部としてまとめた冊子。
ear-voice.info
今は、大畑さんの語りを冊子化しようと思っている。
magazine.air-u.kyoto-art.ac.jp
私はやっぱり記録者であり、語り部なのだろう。
真っ直ぐに本をつくる人
「島田さんはやっぱり読み手であり、書き手なんだな」といただいた冊子を読みながら感じた。
島田さんは、どんどん書くのが役割では?
島田さんの書く『親子の時間』のような文章を読みたい。
書くためのメディア(ウェブサイト)も持っているのだから、そこにどんどん書いていくとそれが一冊の本になっていくのでは?
島田さんは、自分が本当は書き手として書きたいような本を夏葉社から出しているんじゃないかな?
自分が読み手として感動した本を他の人にも読んでほしいと思って新装版として出しているのでは?
島田さんは、本との対話で自分を自分をつくってきた人なんだろうな。
島田さんにとって、読むことと生きること、本をつくることは不即不離に結びついている。
自分の中の井戸を掘り続けると広い場所に出る。
そこで本をつくっているから、多くの人の共感を得る本づくりができているんだろうな。
そんなことをブックフェアポトラからの帰り道に考えました。
ワクワクする現実を今ここでつくりだす
過去の記憶と将来ヴィジョンは脳の同じ場所(海馬)で作られる。
この2つは、両方とも今の自分の記憶と知識の断片を編集して作られた想像物。
石井ゆかりさんの文章で読んだこのメッセージが大きなヒントになりそう。
過去も未来も、今自分が編集して作っているものなんですよね。
(「今」自体も、今自分が編集して作り上げているもの。これが「色即是空 空即是色」が言わんとしていることなのかも)
ならば、ワクワクする過去と未来のストーリーを今この時点で作り出せばいいんじゃないかな?
そうすることで、今をワクワク生きられるのでは?
この仮説を大煙突マッププロジェクトで実証してみたいと思っています。
ヘンリー・モレゾンは、15歳の誕生日に初めて大きなてんかん発作を起こした。(中略)激しいけいれんに見舞われる未来を突きつけられて、ヘンリーは実験的な手術を受けることにした。脳の両側頭葉の中央部分を(海馬も含めて)切除する手術である。
ヘンリーの発作は治まったが、悲惨な副作用がともなった。人生の残りの期間、彼は新しい記憶をいっさい確立できなかったのだ。
しかし話はそこで終わらない。彼は新しい記憶を形成できなかった上に、未来を想像することもできなかった。
記憶の目的はたんに過ぎたことを記録することではなく、私たちが未来へと前進できるようにすることでもある。明日ビーチで経験することを想像するとき、過去からの情報を再結合することによって想像上の未来を組み立てるのに、とくに海馬が重要な役割を果たす
(『あなたの脳のはなし』デヴィッド・イーグルマン 早川書房より)
あなたの脳のはなし 神経科学者が解き明かす意識の謎 (早川書房)
- 作者:デイヴィッド イーグルマン
- 発売日: 2017/09/15
- メディア: Kindle版
あれこれ屋、カムバック!
過去の2月の写真を見返しています。
これは、2003年の2月に札幌のあれこれ屋の三橋さんに所属していたコーラス団「感透音」のパーティのお料理をお願いした時の写真。
私は気に入ったお店があると、ほとんどそこにしか行かないタイプ。
あれこれ屋は信州から札幌に移住した1999年の冬に見つけ、それ以来2004年に札幌を離れるまで通い続けたお店。
札幌から東京に引っ越した後も、年に1回は札幌を訪れ、あれこれ屋で開店から閉店まで友達とゆっくり話しながら飲むのが無上の楽しみだった。
三橋さんには、パーティの食事を始め、野菜だけでコースを作ってほしいとか、いろいろ無茶な注文をしたけれど、その度にしっかりと応えてくれた。
あれこれ屋の飲み友達でチームを作って豊平川のいかだ下りレースに出場したり、冬円山公園でかまくらを作って三橋さんのお料理とお酒を楽しんだり、12月のあれこれ屋の開店記念日に恒例の餅つき大会も楽しかったなぁ!
くうというライブハウスでライブを聴いた後にあれこれ屋に寄って飲んで帰るのが札幌時代のゴールデンコースだった。
そんなお店がひたちにもあったらなぁ!
そんなあれこれ屋も2012年に閉店し、それ以来すっかり札幌から足が遠のいてしまいました。
三橋さん、もう一度自分の店を開いてくれないかなぁ!
そしたら、すぐにでも札幌に行って、二人の息子を連れて行って見せるのだけれど。
図解と現実の橋渡しが必要
歳時記の場には、個々人の”いのち”がよびさまされた”ひととき”が持ち寄られ、それが組み合わされて、日々に根ざした使える歳時記が形作られていく。 #ひたち歳時記
18年前に作ったこの図解が今も私のベースにある。
http://www.sam.hi-ho.ne.jp/mediacraft/DB/WhySaijiki-2.gif
「歳時記の場」は「きく暇がある人の会」のような場なのかな?
ひたちでもそんな場が定期的に持てるといいな。
ギリギリまで考えて作った図解は、随分先まで行ってしまう。
その図解と今の自分を橋渡しする何かが必要なんだろうな。
この図解で描いた世界をこの一生でどのくらい実現できるのだろう?
大煙突マップ未来版では、遠くまで照らしてくれるような図解をまずは作りたいな。