ひたちで小さなメディアをつくる

居心地のいい場をつくるために”小さなメディア”がどんな役割を果たすことができるか、日々の試行錯誤を綴っています。

さりげない空間探検隊

6/1〜4に2年ぶりに札幌を訪ねた。
札幌は8年前まで5年間暮らした街。
私にとっての札幌とは円山で、ほとんど円山で暮らしていた。
西28丁目駅の近くのわがアパート”北町長屋”を出て、神社小路通りを南下し、北3条のツタヤで立ち読みし、すぎはらで買い物し、北海道神宮にお詣りし、円山公園を抜けて裏参道を歩き、桜並木の道を南下して左に折れると”森彦”がある。

森彦でゆっくりと時間を過ごし、円山市場の通りを北上し、地蔵商店や八百屋さんで買い物をして帰る。
http://www.sam.hi-ho.ne.jp/mediacraft/saijiki/Sapporo/Best04.html
または、あれこれ屋で一杯やって帰る。
http://d.hatena.ne.jp/munakata_kenken/20101023/1287777599

休日は、ほとんどそんな過ごし方だった。

札幌に移り住んだ1999年の冬、友達の義理の弟が裏参道にいるということで会ったのが、建築家の植田さんだ。
初めて会った時に「街にとってさりげない空間が大切だよね」という話で盛り上がり、植田さんがやっていた円山裏参道のまちづくりに加わることになった。

当時、盛り上がった流れで、街にとってさりげない空間を残し、それを活かして街を育てていくという趣旨でハウジング&コミュニティ財団に「さりげない空間探検隊」という企画で助成金の応募をしたことがある。(残念ながら不採用だった)
その時の語り合いの記録を久しぶりに読み返した。
話しながらアウトラインプロセッサに打ち込み、まとめたコンセプトが以下の7つだ。

<残したい空間の定義と評価>
 残されるべき空間(日常のさりげない空間)を定義し、評価する方法を探る。

<地を発見し、育てる>
 柄を読み取る地を発見し、育てることが大切。

<開発しない根拠と論理を構築>
 残されるべき空間を残す論理を構築できるか。

<時を降り積もらせる方法>
 いかに時を降り積もらせることができるか。

<再生のダイナミズム>
 古き良きものに新しいものが入り込み、街が再生する。

<変わらない環境をとらえる方法>
 新しいものの受け皿としての古き環境を面としてとらえる手法。

<歩いて楽しい街>
 歩いて楽しい街がいい。

札幌滞在2日目の朝、かつて暮らしていた北町長屋まで散歩したら、目の前の”わらしっこ公園”が整備され、普通の公園になっていた。

盆踊りの中心となっていた大きな木が切られ、子供たちがそり遊びをしていた小山がならされ、そこに遊具が置かれていた。


友人に聞いたところ、カラスがたくさんいて危ないので木を切ってしまったそうだ。
北町長屋のかつて私が暮らしていた部屋に住んでいるその友人は、風情のある公園だったのに、変わってしまって残念だと嘆いていた。
安全や効率化を求めることで切り捨てられてしまうもの、それこそが街の居心地を支えている大切なものなんだと思う。
それを大切にする根拠と論理を明らかにしたいという、当時の認識は、やはり大切だったんだと改めて思った。

円山裏参道でのまちづくりは、道路の拡幅を目指す札幌市が雇ったまちづくりコンサルにいいように使われる形で後味の悪い終わり方をしてしまった。
でも、あの時に話していたことはやはり大切なことであり、円山裏参道で私たちが取り組んでいた活動はとても意味のあるものだったと思う。

3年ぶりにあれこれ屋で共に飲んだ植田さんとあの当時の取り組みをきちんと記録に残し、"さりげない空間探検隊"の活動をまた復活させようということになった。
まずはFacebook上のグループでのやりとりから始めるつもりだ。