引き続き、以下の本からの抜粋とそれについて思いついたことを書いていきます。
- 作者: 平井雷太,加藤哲夫
- 出版社/メーカー: 日本評論社
- 発売日: 1995/09
- メディア: 単行本
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「押しつけない・命令しない・強制しない」指導を実現する一つの方法として、情報の共有がとても大事なポイントになっている。(p.31)
自分で判断の根拠となる情報を体感し、それを元に判断する力を身につけていくのが大切ということなのかな?
子ども自身が自分で『できるようになりたい。でも、できない』という自覚が大前提となります。(p.37)
まず大事なことは、本人に何が「できないこと」なのか、自覚させることです。(p.40)
したい、しかし、できないということを小一の息子に自覚させるにはどうしたらいいのだろう?
そもそも彼は、ひらがなを正しい書き順で書きたいと思っているか怪しい。
毎日すべきことを、子どもが自分からすすんでやるようになってほしいと本気で願うなら、<「〜しなさい」という教育>では不可能です。(p.43)
これは日々長男と接していて、痛切に感じていること。
どうすれば、子どもに本当にさせたいと思っていることができるようになっていくのかを子どもにかかわる大人一人ひとりが、具体的に現実的に考えるようになることで、大人自身が子どもによかれと思って無意識的にしていることを点検するようになるのです。(p.49)
これが今必要なんだろうな。
うまくやろうとするからあがるのだ。失敗してもいいではないか。これが私なのだ。失敗も含めて私なのだから、私をそのまま見てもらえばいい」と思うようになってからは、ずいぶんと講演することが楽になりました。(p.58)
うまくやろうとして、うまくできないことを認められない自分がいるんだろうな。
セルフラーニングとは、自分で決めたことを自分で実現すること(p.66)
「自分で決める」ということが大切。
何をするかどう決めるかのサポートが必要なのだろう。
人目を気にする人は、自分が何もやっていないことを自覚している人。何かやっている人は、どんな人の意見も聞く。(p.69)
何もやっていない状態が続いていたから、こんなにも人の目が気になるようになっていたのか!
らくだは大人になるための場所。大人とは自分で決めたことを自分で実現できる人。(p.69)
小さくともそういう場所をつくりたい。
もう自分で場所を具体的につくらないと先に進めない時期が来ているのに、それを先延ばしにしていたんだろうな。
日々の営みの中で問題は絶えず起きています。しかし、起きた問題に気づいた時、問題が起きることを予測している人はその問題で悩みません。問題を解決しようとせず、問題が解決していくプロセスをながめていれば、問題はこじれることなく、問題が問題にならなくなっていくのです。(p.71)
これが問題解決のキーポイント。
KJ法もこの点に留意して使う必要がある。
何でもフッと気になったことを書き留めることをしていれば、自分がどんな問題意識で何を見ながら生きているのか見えてきます。(p.74)
毎日書くことの意味。
書くことが思いつかない日でも、ワープロに向かうと何かを書き出します。頭で考えたときには何も出てこないはずが、指は勝手に動き出したりするのです。ですから、「書けない」と思ったときにには、書けないときだからこそ書けることがあります。そんなとき、ふだんと違う自分と出会うことができるのです。すでにわかっていることを書くのではなく、書いているうちに何がいいたいのかわかってくる体験、そんな体験が私の中にある未知なるものを引き出す役割をしてくれているようにも思うのです。目標を持たずにただ書く体験は、答えのあることだけを教える教育では決して学ぶことができない世界へ私たちを誘うことをしてくれるようにも思うのです。(p.76)
とにかく毎日パソコンに向かってブログを書き続けることを三週間やり続けてみよう。
そこで開けていく世界がきっとあるはず。