ひたちで小さなメディアをつくる

居心地のいい場をつくるために”小さなメディア”がどんな役割を果たすことができるか、日々の試行錯誤を綴っています。

立ち止まるとき

10/19から27日まで、北海道〜信州に旅行に出かけた。
その旅から帰ってきた後、動けなくなってしまい、2週間以上じっとうずくまっているような状態だった。
何も手につかず、役に立つことをしたくないというような状態。
今までも時々そうなることはあったが、こんなに長く続いたのは、初めてかもしれない。
仕事がひと区切りつき、絶対にしなければいけないことがなかったため、そうしていられたというのもある。
11/13に妻の知り合いが遊びに来るということで、迎える準備をしたことをきっかけに動き出した。
それでも、まだ何も手につかないという状態は続き、このまま家にじっとしていてもどうしようもないと思い、11/16に久しぶりにジョギングし、夜、妻と楽健法をやり合い、活元をして寝たら、だいぶ体の感じが変わった。

二人ヨーガ楽健法―医者に頼らず生きる術

二人ヨーガ楽健法―医者に頼らず生きる術

やっぱり心が固まってしまったときは、体からほぐしていく方がいいようだ。
11/17には、朝から外出し、十王図書館で午前中過ごした後、いわきに遊びに行った。
その後の一週間は、日々、いい感じで過ごせている。
しかし、まだ立ち止まっていたいという感じが続いている。
『急がない!ひとりの時間を持ちなさい』(デイヴィッド・クンツ)を読んで、今は立ち止まる時期なんだろうなと思った。
急がない!ひとりの時間を持ちなさい

急がない!ひとりの時間を持ちなさい

資料を整理していたら、1989年正月の朝日新聞の記事「考えさせられるふたつの「答え」 モモからのメッセージ」(ミヒャエル・エンデ)が出てきた。
心に強く残り、しばらく壁に貼っておいたものだ。
そのひとつめのエピソードは、中米奥地の発掘調査に出かけた研究チームの荷物を運んでいたインディアンが、5日目に突然足を止め、2日間座り込んでしまったというものだ。
後になって、調査隊とインディアンの間に信頼関係ができてからインディアンが答えを明かしてくれたという。
「はじめの歩みが速すぎた」というのがその答えだった。
「わたしらの魂があとから追いつくのをまっておらねばなりませんでした」
私の魂も、私の歩みにまだ追いついていないのかなと感じる。
もうしばらく立ち止まっていようと思う。
そのうちに体が動き出す時が来るだろう。