ひたちで小さなメディアをつくる

居心地のいい場をつくるために”小さなメディア”がどんな役割を果たすことができるか、日々の試行錯誤を綴っています。

紙の本から電子書籍へ

ひと昔前まで、写真はフィルムカメラで撮って、写真屋さんやコンビニで出力してもらい、アルバムに整理して保管するというのが当たり前だった。
今では、写真を紙に出力するというのは、特別な場合だけになっている。
スマホデジタルカメラで写真を撮り、そのままためておいて、スマホで見せたり、メールで送ったり、SNSでシェアしたり、オンラインアルバムに載せてそのURLを知らせるという形で写真を共有するのが当たり前になっている。
 
その変化が本においても起きるのでは?
と、今回小冊子『耳と聲』のepub化(電子書籍の標準フォーマット)して感じた。
紙の本を制作するには印刷費がかかる。
送るにも送料がかかる。
電子書籍なら、印刷費がかからないし、メールで送ったり、SNSでシェアしたりできる。
 
紙焼きの写真が今やぜいたくなように、紙の本がぜいたくな時代が来るのでは?
普通の本は電子書籍化され、特別な本だけが紙で印刷されるようにデザインされ、制作される時代が来るのではないか?
 
小冊子『耳と聲』をkindle化し、Amazonで販売するというのは、長年の課題だった。
2014年に『耳と聲』を発行した後、kindle化に着手しかけたこともある。
でも、その時は、難しいという印象のまま、制作・発行にまでは至らなかった。
ear-voice.info
 
最近、またkindle化に挑戦しようと、ネットで調べたら、ウェブ上のでんでんエディターでテキストにタグを打ち、出力されたテキストファイルと画像データをでんでんコンバーターepub化するというやり方を見つけた。
edit.denshochan.com

『耳と聲01』のepub化を実際にやってみたら、思った以上にスムーズに変換できた。
かかったのは、試行錯誤する時間も含め一日程度。
慣れれば、半日もあれば、終わる作業だろう。
 
作成したepubファイルは、iPhoneのブックアプリで読むことができる。
Macで作成したepubファイルをMacのブックアプリで開くと、自動的にiPhoneのブックアプリの本棚にも登録され、開くことができる。
アンドロイドスマホWindowsでは試していないけれど、どちらの環境にもepub形式の電子書籍を開くことができるアプリはあるようだ。
 
kindleで販売するためには、ちょっと前までは、epub形式からmobi形式への変換が必要だったようだけれど、現在では、epub形式のままアップロードして販売できる。
ボタンを押せば販売開始できる状態までやれたけれど、販売するには関係者で値段を決め、書いた方々の許可を取る必要があるので、まだ販売は開始できていない。
来週火曜日の打合せでみなの合意を得たら、早速書いた方の許可を得て、販売を開始しようと思っている。
 
電子書籍化され、スマホに入っていると、いつでも参照できるのがいい。
今朝も、スマホに入れた『耳と聲01』を台所の机で音読した。
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電子書籍では、見出しや小見出し、本文という構造を与えるだけで、その見た目はスマホで自動的に設定される。
なので、テキストにタグで構造を設定するだけでいい。
慣れれば、紙の本を作成するより、ハードルが低いんじゃないかな?
 
郷土資料なども、どんどんepub形式で発行したらいいのでは?
小部数で予算のない本を発行する場合、印刷費をどうまかなうかが問題となり、発行にまでいたらないことが多い。
epub形式での発行なら、テキストと写真を準備すれば、あとはブラウザ上で作業できる。
 
ちょっと前に、日立市の図書館でも電子書籍の貸し出しが始まった。
www.city.hitachi.lg.jp
epub化された郷土資料なら、いつでもどこででも借りて参照できる。
 
私が事務局と史料編纂チームのリーダーを務めている「大煙突とさくら100年プロジェクト」でつくる「大煙突とさくら関連叢書」も、まずはepub形式で発行しようかな?
hitachi100.blog.jp
 
マニュアルも、epub形式で発行すればいいのでは?
紙のマニュアルは、いつもどこかにいってしまい、結局はメーカーのサイトで調べて、PDF形式のマニュアルを参照することが多いのだけれど、epub形式のマニュアルがネット上にアップされていて、そのURLがQRコード化されて製品に印刷されていれば、スマホQRコードを読み取り、すぐにマニュアルを参照できる。
スマホで読むなら、やっぱりPDF形式より、epub形式のマニュアルの方が読みやすい。
年齢が高くなると、小さい文字を読むのはつらくなるけれど、epub形式なら、自由に文字の大きさを変えられる。
テクニカルライターを生業としていた頃、マニュアルはPDF形式で作成することが多かったけれど、今はepub形式のマニュアルが増えているのかな?
 
『耳と聲』だけでなく、今までつくってきたマップづくりや考えを深める会のやり方もどんどんepub化して、kindleで発行していこうかな?
また、撮りためた写真をテーマごとにepub化して写真集として発行するのもいいかも。
しばらくはepubの可能性をどんどん試してみよう!

お気に入りの居酒屋で気兼ねなく一杯やれる日を心待ちに

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毎年旧暦の新年に届く、高円寺タイフーンのお年玉くじ付き年賀はがき。
今年も届き、「今は辛抱の日々です」と書いてあった。
なんとか無事生き延びているんだ!
とひと安心。
 
東京で暮らしていた頃通い続けていた居酒屋で、東京時代は小杉湯でゆっくり湯につかり、タイフーンで一杯やるのが、ゴールデンコースでした。
お料理はなんでもリーズナブルでおいしいので、夕ごはんを食べる感覚で行くのもオススメです。
www.taifu-n.com

私ももう一年東京に行っていません。
3/3の耳と聲打合せは、上京して、対面でできるといいなぁ!
 
できれば、その際タイフーンにも顔を出したいところだけれど、どういう状況か?
 
一日も早くタイフーンで気兼ねなく一杯やれる日が来ることを願っています。

オンライン上に集える場をつくる

Clubhouseを少しずつ使い始めて、感触や使い勝手を確かめています。
note.com

この1週間でClubhouseでいろんな人がラジオ番組を立ち上げている感じですね。
ラジオのような、電話のような、
パーソナルとソーシャルをゆるくつなげるような
Clubhouseは、新しい小さなメディアを生み出しつつあるのかも。
 
Clubhouseのよさは、まずは音がいいことですね。
 
Clubhouseを使ってオンライン上に集える場がつくれそう!
というところに期待しています。
 
私の場合、公開で使うというよりは、仲間内のおしゃべりの場として使うという使い方に魅力を感じています。
家に一人でこもりがちな小さな子供を抱えるお母さんが、友達とClubhouseでおしゃべりしながら、子供の世話をするというのは、いいんじゃないかな?
もちろん実際に会えればいいけれど、今の状況では難しいし、コロナ禍が収束してもいつでも会えるわけではない。
ZOOMのように映像が映らないというのは、取り繕うこともないし、何かをしながら話せるというメリットがあります。
 
dabelできく暇に参加していたので、声でつながるSNSのおもしろさと可能性は感じていました。
dabelは、音もいいし、おもしろいんだけど、クローズにできないところが私には使いにくく感じるんですよね。
note.com

Clubhouseで何ができるか、自分なりにいろいろ試してみようと思っています。

オンラインで図解を作りながら考えを深める

Clubhouseって、手軽にみんながラジオ番組を始めて、聴いている人がそこに気軽に参加できる場なんじゃないかな?
っていうのが、今の印象。
茶店で、隣の人たちがおもしろそうな話をしているのを聴いている感覚。
 
私としては、クローズで仲間とおしゃべりできるツールとして活用できるのでは?と期待しているのだけれど。
miro等のオンラインホワイトボードで資料を一緒に見ながら、Clubhouseで話をするという使い方を試してみようと思っています。
miro.com

Clubhouseでおしゃべりしつつ、miroで図解を作りながら考えを深める会をやってみたいな!
munaken.hatenablog.jp

Clubhouseについては、オンラインファシリテーターのマーキーの解説がわかりやすいです。
note.com

過去を振り返ることで次の一歩が見えてくる

いつものようにMacの「写真」で過去20年間の今日の写真を眺める。
今日は、417枚あった。

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2/3は例年なら節分なので、節分の写真が多い。
2009年にひたちに移り住んでからは、毎年神峰神社で開催される節分祭に行っている。
義父が総代をしていたこともあり、毎年誰かしらの厄払いをしてもらい、神社の上から豆を撒いていた。
コロナ禍の中、昨日はやったのだろうか?

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毎年バレンタインデーに向けお取り寄せしているエピナールのチョコレートも出てきた。
今年も昨日届いた。
このチョコレートがおいしいんだよね。

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2015年には、日原先生の講演会用に『耳と聲』全6号を20冊ずつ発送していた。
『耳と聲』は、初版それぞれ1000部で、01号と03号は増刷した。
5000部以上はなくなっているから、沖縄から北海道まで全国の方々の手に渡っている。
より多くの必要な方に渡るよう、書籍化する話は、今は休止中で、声を育てるための「声の絵本」のプロジェクトを進行させている。
小冊子『耳と聲』の役割もまだまだありそうだから、懸案のkindle版制作も進めなければ。
03号は、残り10部を切っているので、増刷を考えないといけない。
100部増刷すると2万円くらい。1冊の単価が200円になってしまう。
500部刷れば単価100円くらいになるだろうが、それだけの在庫を抱えるのも大変。
やっぱりもうメディアクラフトで印刷・製本までできる態勢をつくり、完全オンデマンド発行体制にするのがいいのかも。
エプソン プリンター エコタンク搭載 A3カラーインクジェット複合機 PX-M6712FTを購入すれば、それが可能となる。
www.amazon.co.jp
でも、それだけの投資を今してもいいものなのか?
 
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2017年には「耳と聲プロジェクトの2017年を描く」という図解をKJ法A型で作っている。
ここに耳と聲プロジェクトでやるべきことは、ほとんど出ているんだよね。
なぜそれが進んでいないのか?
 
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2018年の今日は、映画「ある町の高い煙突」のエキストラ募集の会だった。
私は、当初エキストラ出演するつもりはなかったので、裏方のお手伝いをしたのだけれど、エキストラが足りないということで、結局エキストラとして映画に出ることになった。
 
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2019年の今日は、ひたちのまちあるきのメンバーと共に日立駅からうのしまヴィラまでまちあるきをした。
『ひたちのまちある記』は、02号まで出して、そこで止まっている。
メディアクラフト編集・発行で販売するものとして制作しようという合意までできているのに、そこで止まっている。
フォーマットはできていて、まちあるきをして写真を撮り、原稿を書き、InDesignでレイアウトすればできあがる態勢になっているのに、なぜこれも止まってしまっているのか?
 
売り先の問題なのかな?
やっぱりメディアクラフトの本屋さんをネット上に開設するのが本当に大切な次の一歩なのだろうという感じが切々としている。
 
過去を振り返ることで今やるべきことが見えてくる。
そんな感覚を日々味わっています。
 
過去のツイートを眺めていたら、皆川さんの以下の言葉をツイートしていました。

なんたか嬉しいなぁ!

声の力

今朝、エーリッヒ・フロムの『愛するということ』という本を読んでいたら、次のような文章がありました。
 

同じ言葉(たとえば夫が妻に言う「愛してるよ」)でも、言い方によって、陳腐なセリフにも、特別な意味を持った言葉にもなりうる。その言い方は、何気なく発した言葉が人間存在のどれぐらい深い領域から出てきたかによって決まる。そして驚くべき合致によって、その言葉はそれを聞く者の同じ領域に届く。それで、聞き手に多少の洞察力があれば、その言葉がどれほどの重みをもっているかを見極めることができる。(p.78)

愛するということ 新訳版

愛するということ 新訳版

これって、まさに声の力ですよね。
「声は人格です」ということをまさに表している文章では?
と思って、参考までにみなさんにご紹介します。

この本、ほんと古典的名作です。
「愛は技術である」と冒頭にあり、愛の技術を習得する過程は「理論に精通」し、「その習練に励む」こととあります。
そして、その前提となるのが「この世にこの技術よりも大切なものはない」という確信だとのこと。
これは、まさに今つくろうとしている「声の絵本」にも当てはまることであり、参考になるのでは?と思い、先日、本屋さんで購入しました。
みなさんも、本屋さんで見かけたら、ご覧になってみてください。

過去を振り返ることで未来が見えてくる

過去から現在まで流れてきている自分の人生の「気持ちの流れ」をつかむことができると、その流れを未来へどのように向けていくかを思い描くこともできるようになります。(『精神科養生のコツ』神田橋穣治、p.67)

 
毎朝、FBの「思い出」で過去10年間のその日の投稿を見返し、Macの「写真」で過去20年間のその日の写真を見返す。
そうすることで札幌から東京、日立へと移り住んできたこの20年間の気持ちの流れを味わい直す。
 
地域エキスパート養成講座の最終回「ワクワクする未来を描く」の場を「自分の人生を振り返り、これからの人生を思い描く。地域の記憶を思い出し、地域のワクワクする未来を描く」シートを作成し、参加者の方々にそれぞれの過去と現在、未来を語っていただき、お互いに聴き合う場にしたのは、神田橋先生のこの文章がずっと心に残っていたからだ。
 
私自身も、見本として自分の過去・現在・未来をシートに書いた。
今見返してみても、その通りだと思う。

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だけれど、実際に実現できていないのは、なぜか?
やるべきことはもうはっきりしているのに、動けないのはなぜか?
 
私の場合、何をやればいいかは、その時々はっきりしていることが多い。
そのやるべきことがきちんとできていないことと、きちんと稼げないことで落ち込み、ポンコツ化することで、せっかく積み重ねてきたことを崩してしまう。
そんなことの繰り返しだったように思う。
 
この辺をなんとかして突破したいなぁ!