ひたちで小さなメディアをつくる

居心地のいい場をつくるために”小さなメディア”がどんな役割を果たすことができるか、日々の試行錯誤を綴っています。

一本足の下駄の効用

私が愛用している一本足の下駄


これで歩くと、身体が調い、地に足がつく実感が得られる。
ゴム付きなので、滑らず、音がしないのがいい。
雨の日のお散歩にも最適。
 
ただ、ゴムがやわいので、ハードに使うとすぐに取れてしまうのが難点。
私は、これを履いて走って、一気に取れてしまいました。
 
その後、下駄用のゴムを買って、コトコト工房でつけてもらっていたけれど、昨夜、駅までの往復4kmほどのお散歩をして帰ってきたら、一部また取れてしまいました。
修理パーツをネットで注文。
またつけてもらうしかないか。
 
こんな雨の朝は、これを履いて傘をさし、お散歩するのがいいんだけれど。(サンダルと違って足が濡れない)
 
一本足の下駄の効用は、古武術甲野善紀さんの本を読んで知り、5年ほど前から時々履いています。(甲野さんは、一本足の下駄を履き、日本刀を腰にさしてワークショップの会場に現れます)
matome.naver.jp

 
チーランニングの講習会に行ったときも、一本足の下駄で走る練習がありました。
一本足の下駄で走ると、蹴らない走り方が実感しやすいんですよね。
melos.media

 
子供用もあるから、長男に履かせて、姿勢を矯正するのに使うといいかも。
https://www.amazon.co.jp/dp/B00PJWAAZO/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_n0SWEbW3C2HW?fbclid=IwAR3WDS9nlgowNY1_RYcDzM8XA_n3c6KZwHRCMd13ixu_pIEVwpO0Uto50HQwww.amazon.co.jp

思い出すために結晶化させておく

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『ひたち帖 2013春・夏・秋・冬号』をつくってから、7年が経つ。
自分たちの暮らしを通じてひたちの魅力を表現しようと思ってつくた私家版の冊子。
地域の魅力は、歳時記とマップという軸で表現できるのでは?という仮説から、冒頭に歳時記、真ん中にイラストマップを配置した。
7年前の春の歳時記を読むと、その当時の暮らしぶりが思い起こされる。
7年前は、長男が生後半年で、産休中の妻と一緒に長男を連れてよくお散歩していた。
よく行っていたのは、わが家から歩いて15分ほどの神峰公園だ。
エレファントカフェでコーヒーを買い、海の見えるベンチでひと休みして帰ってくるのが定番のコースだった。
井上さんが前年の秋にひたちに引っ越してきて、三春の2階にオキーフを開店したのもその年だった。(長男のファーストケーキは、井上さんのチーズケーキで、今でも大好きだ)
その当時もハーフマラソンの自己ベスト更新を目指していたが、未だ達成できずにいる。
海沿いの田んぼは今は田植えはされず、草刈りだけがされている。
Twitterの短文にとどまらず、ある程度のボリュームで文章に結晶化させておくことの大切さを改めて感じる。

日立市と下松市が姉妹都市になったらいいのに

9:16の普通グリーンで東京に向かおうと駅のホームで電車を待っていたら、共楽館を考える集いの大畑さんにバッタリ会って、大みかまでお話ししました。
magazine.air-u.kyoto-art.ac.jp

久原房之助が日立の後に都市開発をした下松も今年が市政80周年を迎え、大煙突の映画を機に日立市との交流を持ちたがっているとのこと。
これを機に姉妹都市にでもなったらいいのになぁ!
 
今週の日曜日は、大畑さんの企画でかつて1万人が暮らす町があった本山をそこで暮らしていた方のお話を聴きながら歩く会に参加します。
今はその跡を微かに残すのみとなっているあの地をかつての暮らしの話を聴きながら歩いたら、どんな風景が見えてくるか、とても楽しみです!

目標とは何か、どうすれば、そこに至るプロセスをワクワクと愉快にたどれるのか?

朝起きると身体が少し冷えている。
机のわきのオイルヒーターをつけ、三年番茶を温める。
三年番茶をマグカップに入れてベランダに出ると、南の空高くオリオン座が輝いている。
 
先週の土曜日から那須旅行、上京して本づくり協会出版部会の集まり、音訳フライデーと行事が続いた。
それぞれ楽しかったのではあるが、身体の中が加速し、ざわざわしている感じがある。
今朝は、ゆっくりと長い距離を走って、自分の身体を感じ、つながり直し、落ち着かせよう。
 
そして、海を眺めながら、ひと時すごそう。

ぼくたちが毎日を生きている同じ瞬間、もうひとつの時間が、確実に、ゆったりと流れている。日々の暮らしの中で、心の片隅にそのことを意識できるかどうか、それは、天と地の差ほど大きい。
(『旅をする木星野道夫、p.131)

海沿いの町で暮らす魅力のひとつは、自分を超え包んでいるもうひとつの時間が、確実に、ゆったりと流れていることを感じやすいということじゃないかな?
 

結果が、最初の思惑通りにならなくても、
そこで過ごした時間は確実に存在する。
そして最後に意味をもつのは、
結果ではなく、
過ごしてしまった、かけがえのないその時間である。
星野道夫

一昨日、谷中のコーツトカフェで木村さんと話をした後、なんとなく言葉にならないモヤモヤが残った。
今の時代について語っていると何となく絶望的な気分になってくることは確かだ。
しかし、その中でもワクワクと愉快に暮らしつつ、状況を切り開いていく道はあるはず。
木村さんも、その道を模索しているのだと思う。
 
私は今、12/15のかさまハーフマラソンで20年ぶりに自己記録を更新することを目標として日々走っている。
これは、今の自分にとってはかなり高い目標で、達成できるかどうかはわからない。
でも、それを目指しつつ日々走る時間に意味や楽しみがあるのだと思っている。
 
目標とは何か、どうすれば、そこに至るプロセスをワクワクと愉快にたどれるのか?
そんなことをずっと考え続けています。
図解を作りながら考える会で深めていきたいのは、そんなテーマなのかな。
 
※以上は、昨日朝のFBへの投稿です。

町内会との関わり方

10年前にひたちに移り住んで以来、町内会に加入し、5年前には班長もやりました。
以下は、5年前の今日の投稿です。
 

市報の配布完了。今年に入ってうちの町内だけで配布部数が10部減っています。引っ越したり、いらないという人がいたり。人口減少と町への関心のなさを肌で感じます。 #居場所をつくる
 
回覧板や市報の配布のシステムは、コストを考えてもよくできています。その役割は、町内会に加入ているメンバーが持ち回りでやっています。「日本社会は15人に1人くらいの比率で「おとな」がいれば回していけるくら安定的に設計されている」と内田樹さんが書いていました。 #居場所をつくる
 
”町内会なんか関係ない”という人ばかりになれば、このシステムは崩壊し、この情報伝達のコストは行政が負担するか、なされなくなります。今年、町内会の班長として毎月の打合せやお祭りの運営側に参加する中で、町内会システムの意義と今後への不安を感じることが多いです。 #居場所をつくる
 
それでも、わが北町町内会は風流物の担い手である誇りと実際に数年に1回風流物をやることで地域への求心力が生まれていて、若い人もそれなりに町内会で役割を果たしていると感じます。それが、お祭りの力なのかもしれませんね。 #居場所をつくる #風流物

 
10年前に暮らし始めた頃は、それなりに積極的に町内会活動に参加しようかな、と思っていましたが、最近では、最低限の関わりになっています。(下手に積極的に関わると、ボランティア的な仕事をどんどん押し付けられそうな危惧を感じたため)
それでも、敬老会等、各種行事のお手伝いや広報委員会でコミュニティ誌の編集・制作には携わっているのですが。
 
昨日、広報委員会でコミュニティ誌の編集委員会に参加したのですが、編集会議は15分。
その時々で誌面はほぼ決まっているので、口を挟む余地はないんですよね。
黙って承認するのみ。
これは、町内会活動の他の部門でも同じなんだろうな。
 
地域コミュニティの再生は、大きな問題だと思いつつも、最低限の関わりにとどめるというのが、当面は続くのかな?
来年は、また班長さん役が回ってくるので、月に1回の会議に出なくてはいけないのですが。

本物の覚悟が感じられ、本音で語り合える人とだけプロジェクトを始めるようにしよう!

何かプロジェクトを進める上で一番大切なことは、コアメンバーに覚悟があるかどうかなんだろうな。
アメンバーに覚悟が感じられないプロジェクトは、ほんとモヤモヤして無駄に疲れる。
最終的には自分が覚悟を決めて一人ででもやり切るしかないんだけれど。
 
「地方の人はその覚悟が「本物」かどうかを見ている」
https://careercompass.doda-x.jp/article/904/

覚悟のない、フワフワした人が、他の人を動かすことはないんだよね。
 
もちろんプロジェクトを進める際には多様な関わり方があり、関わり方をどうデザインするかが肝心だというのは、わかる。
でも、コアメンバーには本物の覚悟を持っていてほしい。
 
今後は、本物の覚悟が感じられ、本音で語り合える人とだけプロジェクトを始めるようにしよう!
と強く思う朝です。
 
その後、「向こう岸の景色」とそこに至るプロセスを共に描けることも大切だな!
と思ったので、追記しておきます。
munaken.hatenablog.jp

自分の小宇宙をしっかりと確保し続けている人や場所こそが、この均質空間のオアシスとなりうる

過去20年間の今日の写真を見返していたら、札幌の小さな絵本やひだまりの青田さんのお話を時田さんのお店で聴いた時の写真が表示されました。
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あれは、20年前の今日だったんだ!
 
私の絵本の世界への原体験は、この会です。
その後、何度も手稲のひだまりを訪れました。
ほんといいお店なんですよね。
www.syoten-navi.com

時田さんのアップルパイのお店は、裏参道にありました。
1999年に札幌円山で暮らし始めた頃、足の向くまま気の向くままに街を歩いていた時に見つけて入って以来、何度も訪れました。
ほんと気さくで朗らかな方でした。
 
時田さんは、残念ながら、私が2004年に札幌を離れて間もなくガンで亡くなってしまいました。
時田さんのことをネット検索したら、ブログ「ひものや万両『おさかな歳時記』」の記事がヒットしました。
orange.ap.teacup.com

なんと私の所属していた合唱団「感透音」のメンバーの佐藤さんがひものの移動販売をするきっかけを作ったのも時田さんなんですね!
 
※佐藤さんのつくる干物は、ほんとおいしいです。
 ひもの屋万両
 
確かなお店や人の存在というのは、いろんなきっかけを産み出していくんだなぁ!
と改めて思いました。
 
「自分の小宇宙をしっかりと確保し続けている人や場所こそが、この均質空間のオアシスとなりうる。それを大事にしていきたい」
 
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20年前に作った図解のこの言葉が、私がまちづくり活動に取り組む際の基本姿勢です。