ひたちで小さなメディアをつくる

居心地のいい場をつくるために”小さなメディア”がどんな役割を果たすことができるか、日々の試行錯誤を綴っています。

答えのない問題に答えを見出していくのがKJ法

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7/21の社会教育主事講習会での生涯学習概論の学びの振り返りプログラムが終わって、明日で1週間になる。
感想を書いていただいた付箋を読むと、かなり本質は伝わったなと思う反面、伝え切れなかったと感じる点もあり、7/30の社会教育計画の振り返りに向け、補足資料を作成することにした。(この回にもアドバイザーとして参加したかったが、残念ながら予定がありかなわず)

補足したい点は、2点。
KJ法は時間がかかる」という感想への回答とどうしても分類やアテハメになりがちな点への対応だ。
これって、そもそもKJ法を使うのにふさわしい問題ということから説明を始めるとわかりやすいかも。

問題には、2種類があるのではないか?
正解が既にある問題と答えを自分で考えて実践することで初めてその答えが意味を持つような問題だ。
学校では正解が既にあり、その正解を導き出すための問題を解くことが多い。
しかし、社会に出ると、正解のない問題に直面することが多い。
問題の焦点を自ら言葉にしてテーマ設定し、有効と思われる方策を考え、実践して初めて前に進んでいけるような問題だ。
KJ法は、そういう問題を考える際に有効な手法である。

そういう問題に対しても、この種類の問題と分類し、正解らしき答えを頭でアテハメて実行することは可能だ。
しかし、その問題に丁寧に向き合うと分類やアテハメには収まりきれず、納得がいかないことを心や体は感じているのではないだろうか?
その問題の焦点を心から納得のいく言葉にして、納得のいく答えを頭だけではなく心と体を使って導き出していくのがKJ法なのだ。

頭はどうしても既存の枠組みを当てはめて問題解決をしようとする。
実際、ほとんどの問題はそれで済むし、その方が早い。
分類やアテハメが悪いというわけではなく、それでは済まない問題があるということなのだ。

そういう問題に対してKJ法を使うわけだが、せっかくKJ法を使っても、普段と同じように分類・アテハメの思考法でKJ法をやったのでは、自分の今の思考の枠組みを超えられない。
「なるほど!」と自ら納得する方策を見出すには、頭をいったん外し、心と体でその問題に向き合うことが大切。
より納得のいく方策は、まず心と体が感じ、それを言語化するのが頭という順番で心と体と頭の全体を使うことで見出される。
自分の今の枠を超えた解決策を見出すには、心と体を先行させ、頭は後追いするという流れが必要。
まずは心と体の感じる力を信頼すること、心と体が感じたものを言語化するのが頭の役目。
その流れを考える型として定式化したのがKJ法なのだ。

KJ法の花火という手法を使えば、かなり複雑で大きな問題でも、3時間×2回、計6時間で一定の結論を出し、解決への一歩を踏み出すことができる。
munaken.hatenablog.jp

KJ法では頭だけではなく、心と体も使って考えているので、その結論が心と体レベルにもおちている。
なので、図解ができあがった段階で自然と行動につながりやすい。
 
慣れてくれば、普段直面するような問題を考えるための図解は、3時間程度で作成できる。
そして、似たような課題に直面した際には、すでに作ってある図解を元に図解ができるので、もっと短時間で図解を作ることも可能。

図解はその程度の時間でできる。
答えのない問題にオリジナルの答えを見出す時間として、この時間は長いのだろうか?

さらに、図解を作った後の効果とそれによって節約できる時間も大きい。
プロジェクトメンバーで作った図解は、灯台のようにいつもプロジェクトを照らし、常に立ち戻れる原点となる。
プロジェクトのキックオフ時に図解を作ることで、そんな原点を作り、他の人にも説明しやすくなる。
munaken.hatenablog.jp

また、プロジェクトの成果をプロジェクトメンバーで振り返り次のステップを描くことで着実に前進していける。

こういう説明をすれば、少しは伝わるかな?