ひたちで小さなメディアをつくる

居心地のいい場をつくるために”小さなメディア”がどんな役割を果たすことができるか、日々の試行錯誤を綴っています。

「谷根千」の歴史に幕

Yahoo!のニュースに「人と街 主婦が残した足跡 地域情報紙草分け 「谷根千」歴史に幕」という記事が載っていた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090628-00000081-san-soci

 「谷根千」は昭和59年、当時20代の主婦が創刊した。子供が同じ保育園に通っていた森まゆみさん(54)と山崎範子さん(51)、それに森さんの実妹仰木ひろみさん(53)の3人だ。

 当時は、バブル景気を前に、都心部の地価上昇が始まっていて、谷根千エリアも開発の手が伸びつつあった。そんな状況を目の当たりにした3人は、「自分の町がどう成り立ち、今どんな事実があるのか書き残そう」と思い立ち、地域密着の雑誌づくりを決意した。

 毎号の特集テーマは人、祭り、文学、食とさまざまで、地域の話題ならなんでも取材した。雑誌には、手書きのイラストや地図がふんだんに掲載され、欄外には原稿にならなかった小さな情報も掲載するなど、「実用性」と「遊び心」があった。

 歴史を守るため、社会的な問題にも取り組んだ。12号「不忍(しのばず)通りが大変だァー」では、地上げ屋に狙われた住人の声を丹念に拾った。高層マンション建築にも異議を唱えるなど、開発の波に警鐘を鳴らし続けた。住民から、ひっきりなしに持ち込まれる相談事に「ここまでつきあうことない」と3人でけんかになったことも。ただ、開発が当たり前の時代に、文化財保護を訴えたことは、「世間の視点を変えた功績があった」と、森さんは振り返る。

谷根千」は、地域情報システムについて考えるときに、常に見本として頭に浮かぶ存在だった。
谷根千」片手にずいぶんと谷根千エリアを歩きもした。
上京する際には、一番に住みたい街として、谷根千エリアを考えたほどだ。(結局、玉川上水にひかれて三鷹台に住んだのだが)
森まゆみさんの『小さな雑誌で町づくり』は、繰り返し目を通した。

25年間、本当にご苦労様!