ひたちで小さなメディアをつくる

居心地のいい場をつくるために”小さなメディア”がどんな役割を果たすことができるか、日々の試行錯誤を綴っています。

感覚を鈍らせることで効率化する現代社会

3/23(木)に東京ビックサイトで開催されているフォトイメージングエキスポ2006に行ってきた。
基調講演は、「脳と映像の地形図」というタイトルで、養老猛司さんのお話だった。
その中でおもしろかったのは、感覚でとらえた世界は「違う」という世界であり、感覚の世界が脳の中に入ることで「同じ」という「概念」の世界に入るという話。動物と人間の違いは、感覚的には「違う」ものを「同じ」と見られるかどうかだという。「違う」ものを「同じ」と見ることにより、言葉が使えるようになる。
赤ちゃんは、「違い」の世界に生きており、成長するにつれ「同じ」の世界を獲得する。その代わりに、「違い」を感じる感覚が鈍っていく。絶対音感をその例としてあげていた。すなわち、赤ちゃんは絶対音感を持っており、その絶対音感は、3歳くらいから訓練しないと消えてしまう。その代わりに、音の高さが違っても同じ曲だと信じて歌う能力=音痴という能力を獲得するのだいう。
近代的な人間の大きな特徴は、感覚が鈍ってしまっているということ。だからこそ、「違いがわかる男」というCMが出てくるのだという。
「違い」を感じる感覚にフィルターをかけ、「同じ」とすることにより、効率的に情報処理ができる。
しかし、「違い」を感じる感覚が鈍ることにより、いろいろな問題が生じる。
その一つが環境問題だ。生物多様性を叫ぶだけではだめで、人間が違いがわかるかどうかが肝心だ。カブトムシもチョウチョも「虫」としか認識できない人間が増えれば、虫はいなくなる。
また、「個性」という言葉も問題だ。ちゃんと見えていれば、人間は一人一人違うに決まっている。人を見る目があれば、違うのは当たり前だ。
感覚をひたすら無視する社会を我々は作ってきた。その中で生きやすいように、自分のことも「一般市民」というような保護色で隠してしまう。
そういう形で変化していく自分自身を感じる感覚を失ってしまうことにより、生き甲斐がなくなっていく。
感じなければ楽だが、つまらなくなっていく。

以上のような話だった。やっぱり一流の人の言うことは、日々の実感に基づきながら、本質的に、とても刺激的だ。