ひたちで小さなメディアをつくる

居心地のいい場をつくるために”小さなメディア”がどんな役割を果たすことができるか、日々の試行錯誤を綴っています。

日々の積み重ねによってのみ得られる

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「日常の中で何か一つでいいから、毎日同じことを単純に繰り返してみることが大切なのだと思います。それが自分を律するということで、それができれば、ハミングを毎日続けることができますし、自分がだんだん変化していくこともわかる。小さなことを自分に課し、それを日々繰り返す持続力が大事なのです。
毎日ハミングをしていても、「ハミングをしなければ」と思ってやるのでは効果はありません。日々淡々と繰り返すことが大切です。やりたくない時はやらなくていいのですが、ずっとやらないのはダメです。

ー効果を求めると効果がないということなのですね。

評価をするということではなく、淡々と毎日繰り返すことによって自然にあふれてくるのを待つことが大切なのです。個人差があるので、どのくらいであふれてくるのかは、わかりません。それを待つだけの持久力を持っていなければということです」(『耳と聲06』日々繰り返すことで身につく、日原美智子、p.19)
http://ear-voice.info/06.html

「それなりに」の状態から脱して、突き抜けていくためには、結果を求めず「小さなことを自分に課し、それを日々繰り返す持続力」が最も肝心なのでしょうね。

4/23(土)日立で「耳と聲の会」を開催します。

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「人間の一生は本当に短い。毎日が平和でみんなが楽しく過ごせる、そこに喜びを見出さないでどうするの? と思います。それぞれの方がやるべきことというのは、各々違っています。それを淡々とできることに平和が感じられたら幸せなのではないでしょうか? その中で日々起こった小さなことに喜べる。花が咲いたとか、芽が出たとか、今日は暖かだったとか、そういうことの中に喜びが感じられるのが、一番幸せだと思います。
何か大きなことをしようというのは違うのでは? とこの歳になると思うのです。毎日自分のやるべきことを繰り返している中で、広がってくる。例えば、私は70歳を過ぎても、行く先々でたくさんの方が私を待っていてくださいます。その方たちに対して120%心を開いて向かい合う。その中に喜びがあるのであって、大きなことの中に喜びがあるのではない、と今私は思っています」(『耳と聲05』共振から共感が生まれる、日原美智子、p.22)
http://ear-voice.info/05.html

この「120%心を開いて向かい合う」というところが大切なのだと思います。
おざなりに向かい合っているとそれなりの結果しか得られない。
日原先生は「120%心を開いて向かい合う」ということを日々本当に実践されている方です。
だからいつもハッピーでいられるのだと思います。

実際に日原先生に会い、その存在に触れていただけると、きっと『耳と聲』を読む以上に伝わることがあると思います。
日原先生は、普段は合唱団や演奏家の方々の指導、CAVやCAVフォローアップ等をされていて、一般の方々が接することのできる機会は「耳と聲の会」だけです。
http://ear-voice.info/pg17.html
ぜひ一度日原先生に会いにいらしてください。

※CAV
マティスメソッドの発声コースの名称で、フランス語のLe Cours Audio Vocalの略。トマティスメソッド聴覚トレーニングを受講した方を対象とし、良い状態に整えられた耳を使って、自分の本来の声に出会う4日間の発声コース。楽器となる身体をリラックスさせる体操から始まり、ナチュラルな発声の鍵となる響き(ハミング)を修得し、母音発声等を学ぶ。

おばあちゃんのセーター

https://www.instagram.com/p/BA1Rl0wRnU_/
大寒の時期にこんな花が咲いている。やっぱりひたちは暖かな土地です。#ひたち歳時記
ひたちは冬暖かで夏が涼しい、とても暮らしやすい土地です。
そんなひたちも大寒、今日は夕方から雪の予報。
久しぶりにおばあちゃんのセーターを取り出しました。
6年前の6月に98歳で亡くなった妻のおばあちゃんは、編み物が得意で、太い毛糸で目が詰まったセーターをたくさん編み、残してくれました。
そのうちの一着を私がいただきました。
ひたちは暖かいので、おばあちゃんのセーターを着ることはあまりないのですが、今日は数少ないそんな朝。
首には30年近く前に家庭教師で通っていたお宅でいただいた玉ねぎの皮で染めたマフラーを巻きました。
服を着るというのは、身体の快適さを得るためだけではなく、思い出を身にまとうということでもあるのかもしれませんね。

子育ても聴き取ることから

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なぜか不機嫌な息子

昨日16時半頃、いつものように2歳8ヵ月の息子を保育園に迎えに行った。
1階の保育室の窓から遊んでいる様子を眺めていると先生が気づき、「お父さんがお迎えに来ているよ」と息子に声をかけてくれた。
私の姿に気づいた息子は、タッタッタタと小走りで部屋の入口までやってきて、くるっと振り返ってお友達にバイバイし、早歩きで廊下を玄関へ向かう。
下駄箱に向かう息子を「もう靴は出してあるよ」と引き止め、一緒に帰ろうとするも、なぜか不機嫌そうな顔でなかなか靴を履かない。
無理矢理靴を履かせると、「だっこだっこ」。
いつもは私の前をどんどん歩いて行くのに何だかご機嫌斜めだなと思い、「保育園で何かあったの?」と聴くも、返事はない。
家に戻ると「かみね公園に行きたい」と言うので、ベビーカーに乗せ、一緒に近くの公園まで行き、遊んでいるうちに、いつの間にか機嫌は直った。

わが家では、朝は妻と私と息子の3人で歩いて保育園の前まで行き、そこから先は息子と一緒に妻が保育室に行って、朝の仕度をする。
私は、妻を職場に送るため、いったん家に帰って車で保育園の駐車場に行き、車の中で待っていた。
すると、妻が何やらビニールの袋に入ったものを持って、車に乗り込んできた。
「これ、お散歩のお土産だったんだって。下駄箱に入っていた」との妻の言葉でなぜ息子が昨日あれだけ不機嫌だったかの謎が氷解した。
袋の中にはクローバーの花と木の葉が入っていた。
彼は、そのお土産を颯爽と私に見せたかったのだろう?
それに気づかず、私は靴を履かせて帰ろうとした。その私の対応が彼は悲しく、やるせなかったのだろう。

息子の様子が見えているかが肝心

息子の成長を見守りながらいつも考えているのは、「本人の持って生まれた資質を損なわないように成長をサポートするにはどうしたらいいか?」ということ。息子には、素直に機嫌良く伸び伸びと育っていってほしいと願っている。
そのためには、息子の様子を感じ、観察することが大切。
そうすれば、自然とやるべきことは見えてくるはず、と理屈はわかっている。

ところが現実の私は、息子の様子をなかなか感じることができずに、息子を不機嫌にすることが多い。
朝の着替えを断固拒否されて、無理矢理着替えさせて、泣かれたり。

妻はよく「なおちゃんって、おもしろいよね」と言って、これこれこいうところがおもしろいと教えてくれる。
それに対して私は、息子と一緒にいても、息子につきあっている感じで、自分自身が楽しいと感じていることが少ないように思う。

マティスメソッドの一番の基本は、「聴き取れるもののみ再生できる」ということ。私は聴き取れていないから、息子のおもしろさがわからず、息子と楽しく遊べないのだろう。

聴き取るためには、「聴き取りの姿勢を取って深い呼吸をして、リラックスすること」とやるべきことはシンプル。
『耳と聲』全6冊を編集・制作する過程で、トマティスメソッドで大切な言葉は頭に入っていて、ことあるごとに頭に浮かぶ。
しかし、その言葉が実行できないというのは、まだ身についていないのだろう。

自然体とは幸せを感じ取れる身体

「幸せは常に身の回りにある。問題は、それを感じられない身体になっていること」と確信する一瞬が最近あった。

「「八方塞がり」も、所詮は「意識できる八方」が塞がっているだけのこと。心開けば、意識を超えた向こうから、ちゃんと爽やかな風が吹く」(森田真生)
どんなに行き詰まっていると感じる時でも、海からは美しい朝日が昇り、夕方にはあかね色に空が染まる。夜になれば、月が昇り、金星と木星が光り、金星の近くにはふたご座などの星たちがきらめいている。
行き詰まっているのは、頭だけで、身体を開けば幸せはキャッチできるのだ。

その見本がすぐそばにいる。
2歳8ヵ月の息子だ。彼は、空を見上げて「お月様だ!」と喜び、「お花きれいだね」と実家の庭の花々を愛でる。
身体がリラックスし、世界に対して開かれているのだろう。
開かれた身体から見える世界はキラキラしている。

マティスメソッドは、緊張して閉じられた身体をリラックスさせ、幸せをキャッチできる自然体の身体になるためのメソッドなのだと思う。
そのために日々やることは、聴き取りの姿勢をとり、深い呼吸をしてリラックスし、ハミングをすることだけ。
日々それを繰り返していくと、いつの間にか自然体で生きられるようになているという。
このハミングも、「ハミングをやろうと思ってやると効果が得られない。日々淡々とやり続けることが大切」と先生は言う。
自然体で生きるのを一番邪魔しているのは、自分の頭。頭で自然体になるためにハミングをしようと意志することは、そもそも自然体に逆行するのだろう。

子育てもまたトマティスメソッドの修行

息子に応対していると、自分の未熟さを感じさせられる場面が多い。
でも、息子の様子をしっかりと聴き取り、適切な対応ができると、息子の顔がパッと輝く。その瞬間は嬉しい。
置き去りにされてしまった息子のお土産は、コップに入れて棚に飾っておいた。帰ってきてそれに気づき、息子の顔が輝いてくれるといいな。

気軽に映像を共有し、大画面で楽しめる時代に

今日は、息子の保育園のクリスマス発表会でした。
あいにく妻は、東京出張で観られず。
妻に息子の活躍を伝えるべく、息子の出番はすべてiPhoneで映像で記録。
出番ごとにすぐにLINEで映像を妻に送信(1分30秒まですぐに送れます)。
家に戻ってMaciPhotoにデータ転送し、iCloudの共有フォトストリームに映像をアップしました。(5分間の映像を共有可能。フォトストリームは、郡山の父と義母とも共有しています)
妻はお昼休みと帰りの電車でその映像を繰り返し観たそうです。
夜、息子と一緒に駅まで迎えに行き、家に戻ってきて、iPhone上の映像をAppleTV経由で大型液晶テレビに映して何度も楽しみました。
iPhoneMac、AppleTV、大型液晶テレビの組み合わせで気軽に映像を共有したり、大画面で楽しんだりできる。
小さなメディアを気軽に作れるという点では、本当にいい時代に生きているなと思います。

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Twilogで1年前の自分を振り返る

私はTwilogというサービスを使って、Twitterの投稿を記録し、常に見返すことができるようにしています。
http://twilog.org/munaken

投稿時にテーマを示すタグ(例えば「#耳と聲」等)を付けておくと、そのテーマに関する投稿を見返して考えを深めていくことができます。

Twilogには、「1年前の今日のツイートを見る」という機能があり、ほぼ毎日1年前の今日の投稿を見返しています。
”時間は1年という周期でらせん状に巡り進んでいく」というイメージが私の中にはあります。季節ごとに自然も食べ物もやることも移り変わっていき、毎年同じ時期に同じ花が咲き、同じようなものを食べ、同じようなことをしています。
そして、関心を持っているテーマは、それほど変わらないので、1年前の自分のテーマは今の自分にも刺激的なことが多いのです。
特に、一年前の今日の投稿は、おもしろい!以下、今の自分にもぐっとくる投稿やリツイートを上げていきます。

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たんじふみひこ@tanjibrico
じりじり、がポイントです! RT @toyoline: わーい、わーい。レンコン大好き、すぐやる課。@これは簡単でオススメです。蓮根を1センチ弱の厚めに切って、フライパンでじりじり焼きます。味付けは塩胡椒のみ。切り方によって食感が変わりますが、うちは縦に切ってしゃりしゃり食べる

安東量子@ねこさま。にゃーん@ando_ryoko
そうですね。ご自分の経験をご自分の言葉で語って下さるお話には、上手で整理された話にはない、力があると思います。 RT @sayakatake 末続の方たちは自分たちがなぜ安心できたのか語ってくださったのが心を打たれました。都路の発表も涙が出そうでしたね。

宗形憲樹@munaken
「体重&体脂肪をWi-Fiで自動保存できるWithings WS-50がAppleStoreでわりと安く買えるようになったぞ」 http://ow.ly/rzDGs :これ、いいなぁ!

宗形憲樹@munaken
第1回 子どもをみたら|近くて遠いこの身体|みんなのミシマガジン http://www.mishimaga.com/chikakute/001.tml… #mishimaga :こんな眼差しで子どもを見守り続けたい。 #子育て

宗形憲樹@munaken
「自己肯定で”本番力”が劇的に上がる! いま話題の「OKライン」とは?」 http://ow.ly/rzzpD :ここに書かれている内容は、日原先生がいつも言っていることにとてもつながる。そのままの自分を受け入れることがすべての根本なんでしょうね。 #耳と聲

宗形憲樹@munaken
「近いところのことを、ちゃんとできる人になるには…
 じぶんの頭を使って、やけにならずに、
 できるかぎり悲しむ人のいないように、
 誠実にやることだけなのだろう。
 それができるのが、ちゃんとした人なのだと思うのだ」(糸井重里
http://ow.ly/rzyIe

内田樹@levinassien
あらゆる運動体は「それが理想としてめざす未来社会の萌芽的形態でなければならない」というのが僕の考えです。だから「民主的で、風通しのよい社会」をめざす運動体は、それ自体が「民主的で、風通しのよい組織」でなければならない。そう思います。
ということは、運動を始めた瞬間に、局所的には「たのしい未来社会」がそこに実現しているはずです。だから、運動していることそのものが「たのしくてしかたがない」。もしそうでないとしたら、その運動には未来がない。自分がどんな社会組織を理想としているのか、それを検証する好機です。
組織原理が非寛容であったり、異論に対して抑圧的であったり、原理主義的であったりする運動体は「非寛容で、抑圧的で、原理主義的な社会」をめざす運動であるほかありません。

T@yumenolap
木村俊介「善き書店員」(ミシマ社)。己の存在を隠し、語り手である書店員たちのゆらぎや淀みも丁寧に記録する木村のインタビュー手法。出版状況を大上段に語る本ではないが、現場の一人ひとりの言葉は「生」そのもの。何を感じ読み取るか。「善き」の行方は。こちらが試されている。手ごわい本。

糸井 重里@itoi_shigesato
新聞の一面に出ているようなことについて、あれこれ語っていると、なんだか  むつかしそうで高級そうなのだけれど、考えようによっては、誰にでもできる簡単なことだ。家のことやら、近所の問題があったとき、しっかりと解決することは、実にたいしたことである。⇒明日の「ほぼ日」

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一年前の今日は、父の喜寿のお祝いを二ッ島観光ホテルでやり、お土産にエキソンパイをもらったんだなぁ。
今年は、父の誕生日をどうお祝いしてあげようかな?

「生前供養」としての小冊子づくり

六車由実さんの「「生前供養」としての高齢者介護」という文章の中で書いている「生前供養」の考え方がおもしろい。

医学書院/週刊医学界新聞(第2991号 2012年08月27日)

「平川さんはさらに,高齢者介護=生前供養を次のように意味付けている。《 「供養とは,その人のやってきたことを一度きちんと聞き出して,顕彰して,埋葬するという儀式」だ。だから,生きている間にどんなふうに生きてきたのかをちゃんと聞き出して,語られたことを綴っておく。そして浮かび上がってきた歴史を亡くなった後も次の世代に引き継いでいく》と」 

 

これこそメディアクラフトの「小さなメディアづくり」でできることだし、やりたいことだと思った。

平川さんが語る「聞き出して,顕彰して,埋葬する」という「生前供養」という言葉は,そうした私の試みる聞き書きを深いところで意味付けてくれるように思えたし,また,さらには,一方的に「介護する/される」には収まらない,より豊かな高齢者介護の可能性を開いてくれるようで嬉しくなったのであった。

 

こういう視点、とてもいい!