ひたちで小さなメディアをつくる

居心地のいい場をつくるために”小さなメディア”がどんな役割を果たすことができるか、日々の試行錯誤を綴っています。

「生前供養」としての小冊子づくり

六車由実さんの「「生前供養」としての高齢者介護」という文章の中で書いている「生前供養」の考え方がおもしろい。

医学書院/週刊医学界新聞(第2991号 2012年08月27日)

「平川さんはさらに,高齢者介護=生前供養を次のように意味付けている。《 「供養とは,その人のやってきたことを一度きちんと聞き出して,顕彰して,埋葬するという儀式」だ。だから,生きている間にどんなふうに生きてきたのかをちゃんと聞き出して,語られたことを綴っておく。そして浮かび上がってきた歴史を亡くなった後も次の世代に引き継いでいく》と」 

 

これこそメディアクラフトの「小さなメディアづくり」でできることだし、やりたいことだと思った。

平川さんが語る「聞き出して,顕彰して,埋葬する」という「生前供養」という言葉は,そうした私の試みる聞き書きを深いところで意味付けてくれるように思えたし,また,さらには,一方的に「介護する/される」には収まらない,より豊かな高齢者介護の可能性を開いてくれるようで嬉しくなったのであった。

 

こういう視点、とてもいい!

 

父母の足跡を残す小冊子を作ろう

お彼岸に墓参りに郡山の実家に行ったとき、父が一冊のアルバムを出してきた。

私が子供の頃の写真がおさめられたアルバムだ。

私の実家は、私が20代の頃、火事になり、アルバム類はすべて焼けたと聞いていたのだが、焼けたアルバムの中から焼け残った写真を取り出し、まとめたものだという。(なぜ今頃、このアルバムが出てきたのかは、謎なのだが)

そこに写っていたのは、小学生3、4年生の頃の自分だった。

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庭で兄弟3人並んで撮った写真や祖父母や叔母と玄関で撮った写真、レジャーランドで兄と並んでいる写真、海水浴に行ったときの写真、焼ける前の家の写真、マラソン大会の後に吾妻スカイラインに行ったときの写真など、たくさんの写真があった。

父は若い頃から写真を撮るのが好きで、焼けていなければ、かなりの冊数のアルバムが残っていたはずだと言う。

 

1年半前に子どもが産まれてから、子どもの成長する姿を眺めながら、自分はどんな子どもだったのだろうと思うことがよくある。

息子と私はよく似ていると言われるが、小さい頃の自分と息子は似ているのだろうか?と思って、その頃の写真はないので比べようがないと思っていた。

そこにひょっこりと現れた写真たち。

とても嬉しい出来事だった。

 

私は父母が26歳の時の子どもだから、上の写真に写る父母は35か36歳なのだろう。

今の自分よりも15歳も若い父と母の姿。(父母は同い年です)

その頃の父母は、どんな思いで私たちを育ててくれていたのだろう?

 

ミシマガジンで平川克美さんがこんなことを書いていた。

 

この写真をベースに父母の足跡を残す小冊子を作って、父に贈ったらどうだろう?

それは父にとっても嬉しいし、私にとっても大きな意味があるのではないだろうか?

 

昨年12月、父の喜寿のお祝いをやったとき、写真好きの父に印刷されたアルバムを作ってあげようということになっているのだが、進んでいなかった。

写真集代わりに、小冊子を作るという試みはおもしろい。

どんな小冊子にするか、ストーリーを考えてみようと思う。

 

私の作りたい「小さなメディア」というのは、こういう小冊子みたいなものなのだと思う。

名刺は等身大の自分を伝える最小のメディア

知り合いのデザイナーの方にメディアクラフトのロゴと名刺のデザインをお願いした。
早速作ってくれたロゴは、メディアクラフトのMおよび宗形のMと本の形を重ね合わせたものだった。

それを見ての第一印象は、メディアクラフトが作るのは本だけじゃないんだけどなぁというもの。
メディアクラフトは、1995年に「智恵の蓄積・再生産システムの創出」をテーマに出発した私の個人事務所だ。
その当時の中心となる仕事は、KJ法を使っての情報まとめだった。
アンケートの自由意見欄や会議、サポート電話、フィールドワークのまとめ等をしていた。
KJ法を使ってまとめていくと、一般の人の何気ない日常の言葉をまとめていく中から全体を包括しつつ、本質を突いた鋭い意見が浮かび上がってくるのを感じることが多い。
一人の専門家の言葉よりも、一般の人たちの言葉を丁寧にまとめていく中から浮かび上がる言葉の方がずっと豊かだと実感する。
その時考えていたメディアとは、そういう一般の人たちの言葉から暮らしに役立つ智恵を浮かび上がらせる仕組みだったのだと思う。

当時、サポート電話を録音したものを書き起こしたテキストから元ラベルをKJ法でまとめて問い合わせ内容の全体構造を作り、それを元にサポート支援システムを考案する仕事をした。
そのシステムが一つの雛形だった。

そのプロジェクトは、つまらないお金のトラブルから崩壊してしまい、その後はテクニカルライターとして数冊の本を書いた。
著者として名前が出ている本があったおかげで、1999年に札幌のITベンチャーに雇ってもらうことができ、2009年まで10年間、テクニカルライターとしてサラリーマン生活を送ることができた。(その間、東京に移り、マニュアル制作会社からシステム開発会社へと会社は変わったが)

2009年に日立に移って、個人事業者としてメディアクラフトを再開してからの仕事は、前職のシステム開発会社から依頼されたマニュアル制作や、前職の時の知り合いの会社から依頼されたシステム、知り合いから頼まれたウェブサイトの制作などだった。

小冊子や本の制作が仕事の中心になったのは、昨年からだ。
そもそもMacを最初に導入したのは、1990年に『KJ法研究』をDTPで制作するためで、その後もヒマラヤ保全協会の会報や山岳エコロジースクールの報告書を編集・制作していたし、それ以前に遡れば、大学のサークル誌やミニコミの編集長をしていたこともある。
サラリーマン時代も、マニュアルを作り続けてきた。
なので、冊子や本の編集・制作の経験は長いと言えば長いのだが。

今回、名刺の裏にメディアクラフトの業務内容を入れることにした。
「考えをまとめるお手伝い」「小さなメディアづくり」「ネットやIT活用のお手伝い」の3つだ。
まず一緒に何をしたいか考えをまとめ、それに最適なメディアを提案し、丁寧にやりとりしながらそのメディアを作り、日々活用できるところまでサポートするというのがメディアクラフトの仕事全体の流れだと思っている。
その時に大切にしたいのは、「丁寧にやりとりを重ねながら、育てるように作る」という姿勢だ。
私は農家の息子で、今も自家菜園を耕している。
種をまき、手入れし、収穫するようにメディアを作るというのが、自分の性に合っている。

そんな感じがロゴに入るといいのだが、それは欲張りだろうか?^^;

『ひたち帖』は「生活誌」?

 わたしのマチオモイ帖展への出品をきっかけに、昨年2月から今年の2月にかけて、『ひたち帖』2013春、夏、秋、冬号を作った。

わたしのマチオモイ帖 | 「my home town わたしのマチオモイ帖」は、全国のクリエイターが、それぞれ自分の思いのある「町」を冊子や映像で紹介する展覧会です。

 

今週の日曜日(3/23)まで東京ミッドタウンで展示されているが、残念ながら今年も観に行けそうにない。

東京・大阪展 | わたしのマチオモイ帖

 

『ひたち帖2013冬号の編集後記に以下のように書いた。

昨年春から作り始めた『ひたち帖』も、この冬号でひとめぐりした。このひとめぐりを繰り返すことが、日々をていねいに暮らし続ける手助けになるように思う。

大切なのは、少し先の暮らしを思い描いて、各季節の物語を作っていくこと。秋号と冬号の発行が送れてしまったのが反省点だ。次の春号は、自分たちにとって最小限の内容に絞り込んで、春が訪れる前にさくっと作りたいな。

 

『ひたち帖』2014春号を2月中に作ろうと、表紙とページ割りを作り、中身も作り始めたのだが、そこで作業が止まってしまっている。

『ひたち帖』を出し続けたいと思いつつ、その作業が負担になっている感じ。

 

とりあえず、何もしないよりはと思い、「ひたちきまぐれ歳時記」というブログを作った。このブログに『ひたち帖』のコンテンツになりそうなものを書きためていこうと思っている。

ひたちきまぐれ歳時記

 

「きまぐれ歳時記」という言葉は気に入っていて、2000年に初めて作ったホームページの名称が「札幌円山きまぐれ歳時記」だった。

2004年に移ってからは「武蔵野きまぐれ歳時記」という名前に変え、2005年で更新が止まっている。

武蔵野きまぐれ歳時記

 

ネット上の「きまぐれ歳時記」という形で情報発信を初めてベースにあるのは、2000年に作った「なぜ今、インターネット上に「歳時記」か?」という図解だ。

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日々を耕すことで生命感覚がよみがえる。歳時記の場にお互いの日々で出会った事実を持ち寄り、やりとりが積み重なることで、場が育ち、わたしの歳時記ができていく。その歳時記が自然に根ざしていきいきと生きる暮らしの源泉となる。

そういう場を作り出したいと思って、「きまぐれ歳時記」というサイトを立ち上げたり、札幌円山裏参道まちづくりサイトで歳時記ページを作ったり、ひたち帖を作ったりしてきたのだと思う。

 

「文化誌が街の意識を変える展」が3月末から東京で開催されるという情報をネットで見つけた。直観的に「これは行かなくては!」と思った。

 

『ひたち帖』を今後どうしていくかのヒントが得られそうな気がするからだ。

 

『ひたち帖』は「文化誌」というよりも、今暮らしている場でいきいきと生きる手助けとなる「生活誌」を目指しているのかもしれないが。

新たに学ぶ楽しさ

 昨日は、3月からウェブサイトと予約システムの管理を引き継いだホテルに3回目の打ち合わせに行きました。

現在進めているのは、4月からの消費税対応のために予約管理システムの料金を修正する作業です。

そのホテルの場合、楽天じゃらん、予約プロの3つの予約システムを手間いらずという統合管理ツールで一括管理しています。

その仕組みを理解し、整合性のとれなくなっていた部分をとことん調べ、原因を究明できていたので、打ち合わせはスムーズに進めることができました。

いろいろ調べているうちに見つけた「旅館のホームページ制作ならアナザーコンセプトへ|anotherconcept」というページが、今後のウェブサイトブラッシュアップのためにとても役に立ちそうです。

http://www.anotherconcept.jp/category/seo/

ホテルのサイトの目的は、予約が増えるサイトにすること。

とても明確で、結果がすぐ出ます。

この目的を達成するためにどうすればいいのか、考えるのはおもしろい。

久しぶりに新たに学ぶ楽しさを味わっています。

 

打ち合わせの後、少しクールダウンするために、オキーフと三春によってひと息入れました。

http://instagram.com/p/lt4EmcxnbU/

ひと休み

メディアクラフトの仕事は

2月に納品した自費出版本『みちくさ小径』がとても好評です。

http://instagram.com/p/kqdV6uxnW3/

エッセイ集が完成し、納品してきました。とても喜んでいただけました。 #メディアクラフト

「本を見て、自分の本を制作する際にはお願いしたいという方が何人かいるので、名刺がほしい」と言われ、久しぶりに名刺を作っています。

日立に来てメディアクラフトを再開して5年経ちますが、ちゃんと名刺を作るのは初めてです。

名刺のデザインというのは、難しいですね。ちょっと文字の大きさを変え、位置をずらすことで印象がかなり変わります。(わが家のハガキプリンタで印刷するため、InDesign上で配置した位置と結構ずれ、実際に印刷しながら位置調整をしました。下の画像で左上に寄っているように見えるのは、そのためです。)

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このように名刺の裏面にメディアクラフトの仕事内容を入れることにしました。 

よく「宗形さんって、何をしている人なんですか?」と聴かれて説明に困るのですが、この名刺を元に説明すれば、わかってもらえるかな?

2番目の説明の「等身大の自分を伝えるための」という部分がまだしっくりきません。

妻は「目的は人ぞれぞれなんだから、そういう風に限定しなくてもいいのでは?」と言いますが、何らかの形容詞は付けたいという感じがしています。

また「小さなメディア」というところもひっかかるようでしたが、私はあえて付けたいと思っています。

名刺がほしいと言われた方にこの名刺を見せたら、「地味ね。この名刺を見て、この人に頼みたいと思わせるようなものがいいんだけど」と言われてしまいました。

やっぱりロゴと名刺のデザインは、デザイナーの方にお願いし、印刷はわが家のハガキプリンタでやるという風にしようかな?